セピア色に黄ばんだ便箋にぎっしりと鉛筆で書かれた文字。幼い息子に宛てた遺書にはところどころ、漢字に読み仮名が振ってあった。

◆収蔵庫に眠っていた21枚7000字の遺書

福岡県の中央に位置する嘉麻市。かつて福岡県が日本有数の産炭地であったころ、炭鉱で働く多くの人たちで賑わったところだ。嘉穂南部1市3町が合併して(山田市、碓井町、稲築町、嘉穂町)2006年に嘉麻市となった。旧稲築町にかつてあった山野炭鉱では1965年に237人が犠牲となったガス爆発事故があり、私は事故から50年を迎える2015年に炭鉱事故のその後をテーマにした番組を制作したのをきっかけに、折りに触れ、嘉麻市を訪れるようになった。

◆漢字には読み仮名がふられていた

嘉麻市碓井平和祈念館は、合併前の1996年に開館した戦争資料館だ。2019年の夏。たまたま訪れた祈念館で、企画展が行われていた。「スガモプリズン 21世紀への遺言」。そこで私の目を引いたのは、直筆の遺書だった。
 遺書を書いたのは、藤中松雄。旧碓井町の出身だ。1950年4月7日未明、BC級戦犯としてスガモプリズンで命を絶たれた。享年28。展示されていたのは、両親や妻、幼い息子に宛てた全部で21枚の遺書。便箋に書かれた文字は華奢で、丁寧な筆致だった。当時ペンネームが流行したのか、戸籍名は「松雄」だが、遺書には「松夫」との記載もある。