米軍の隙をねらって遺骨の奪還は不可能
A級戦犯の遺骨については、巷では様々な噂が飛び交っていた。井上はその真偽を尋ねている。
<井上忠男「巣鴨戦犯遺骨の埋葬秘話」人と日本(行政通信社 1975年新春号)>
(西川清治氏からの聞き取り)
米兵監視のもとで作業が行われ、開始は午前八時十分ごろ、終了は午後九時三十分であった。火葬が終わって外番の者が扉をあけて遺骨を取り出し、受け皿に入れて骨上げ台に運んだとき、米下士官の一人が「ワン・トウジョウ!」といったので、隊長からひどく叱られていた。米兵たちが緊張していたのは、命懸けで遺骨を奪回する日本人たちが現れるのではないかという恐怖心もあったようだ。しかし、巷間伝えられる火葬のあいだに日本側の人物が遺骨をひそかに取り出したり、そういう行為を行おうとする隙はまったくなかったという。
A級七柱の火葬時の様子が、いろいろ書かれていることについて、その例を挙げてお尋ねした。氏は、当時の火葬場および作業場内の米監視役の配置、作業場内における内番および外番の火夫の配置、火夫の控室、骨上げ台のある部屋の米監視兵の配置など、詳細に図示しつつ説明された。それによると、「米軍兵士が日本の火葬機械の加減に不慣れで火葬が完全にゆかなかった」などということはない。火葬場の火夫が操作したので、米兵が機械を操作したなどとんでもないことである。また遺体が完全に焼けないことはない。これは内番の火夫の責任でもある。「飛田らが米軍のスキをねらい、鉄棒で七氏の遺骨をとりだして七つの小さいツボに入れ、ひそかに火葬場の一隅にかくした」ことなどあり得ない。「カマから取り出された遺骨を米軍人が、各人ごとに鉄鉢に入れて粉末にした」ということも事実でない、と話された。







