男子寮の壁が崩れた

しかし、2011年3月11日。「あの日」が今野さんの人生を一変させました。

今野貴充さん
「私、男子寮の方にいたんですけど、寮の壁が崩れ落ちて。救出にいって『出てこい』って外に。高台の上にあったんで街が一望できるんですよ、雪降ってきてるうちに今度火災が起きて街が燃えるんですよ」

家族4人、着の身着のまま南相馬市を離れた

生徒たちの安全を確保し、自宅へ戻った今野さんは、家族4人で、着の身着のまま車で南相馬市を離れました。

向かった先はおよそ80キロ離れた同じ福島県の郡山市。

福島第一原発で事故が起きたことは、避難所で観たニュースで初めて知りました。

今野貴充さん
「私は駄目だと思いました、ここには多分もう住めないなとは思ったんですね。いろいろ葛藤もしたし、いろんな方に意見も求めたんですけど、でもそこ住めるのかなって思って」

南相馬市の自宅は原発から20キロ圏内で、避難指示の区域となりました。

今野さん一家は東京に住む妹を頼って1週間を過ごした後、京都で1年間の避難生活を送ることになりました。

今野貴充さん
「苦しかったですね。(教員を)そのままやっていけない、じゃあ、やめるしかない、その仕事を変える決断っていうのは、すごく恐ろしかったです」