戦犯容疑だったことが判明
一方、函館の魚粉会社のほうでも、幕田について情報収集をしていた。トメの元へ報告の手紙が届いたのは、幕田がスガモプリズンにいて、囚われの身ながらも健康上は元気だということが分かった1週間後くらいだろうか。前回の「吉報を待て」という手紙とは、一転して悲観的なものになっていた。
<魚粉会社の人から幕田の母トメに宛てた手紙 1947年4月8日付>
謹啓 しばらくご無沙汰致しました。前回お約束申し上げました幕田君に関する情況、入手できましたので、お知らせいたします。内容はやや悲観的にて申し上げにくい次第ですが、いずれ判明するものにつきザックバランに申し上げます。
実は幕田兄はやはり戦犯容疑のかどで、現在、巣鴨拘置所内にある由、ただし、まだ決定的なものではなく、二、三カ月くらいして決定される見込み、これ以上はちょっと今の所、判明しません。今度、当地よりそういう関係の仕事をされる人が、中旬以後、東京にゆかれますので、途中、山形に寄っていただき、色々と直接、お家とご相談していただくようお願いしておきました。
多分、お家にもご連絡あったと存じますが、実は今日、幕田君より直接、文信があり。元気にしているから安心してくれとのことでありました。一週間に一本しか手紙が出せないとのことで、ひょっとすると又、文通されていないかも知れませんので、小生宛の手紙、同封して置きます。
落胆しないで・・・勤め先から母へ親身の手紙
幕田が務めていた魚粉会社の人からの手紙は、幕田が自分の手紙に「感謝」と書いているように、かなり親身になって、知り合いをたどって聞き込みをしているのが伺える。それは会社での幕田の働きぶりと人柄が評価されていたということだろう。母トメに対しても心遣いが多分にみられる。
<魚粉会社の人から幕田の母トメに宛てた手紙 1947年4月8日付>
だいたい以上の様な状況でありまして、大変ご心痛のことと存じますが、私の予想では生命にはまず異状ないものと思います。いずれにせよ、今月中旬以後の〇〇君に万事、ご相談下さる様お願いします。又、東京では一月一回は面会可能の由につき、〇〇君と同行、一度ご面会されてはいかがと考えています。
嬉しい通知なら喜んでお知らせいたしますが、どうもそういうご通知は、どう申し上げて良いかわからず、誠にあんまり分からなくてガッカリされたことと存じますが、決して落胆されることなく、今後の成り行きを見て頂きたいと存じます。
まずはとりいそぎご連絡まで 敬具 四月八日 幕田トメ様
速達の判が押された封筒の消印は、4月11日になっていた。







