すべては運命 面会は固くお断り
このあと、トメには獄中の幕田稔本人から手紙が届いた。
<幕田稔の獄中からの手紙 1947年3月25日付>
拝啓 その後、皆々様にはお元気のことと存じます。小生、よしなき(根拠のない)事由により、二月二十五日巣鴨拘置所に入所いたしております。皆、愉快に過ごしておりますから、ご心配されないように。函館出発の際に会社の方でも皆に心配をかけ、肉親がする以上にご配慮いただき、感謝している次第です。すべては運命と思っております。家の方も苦しいと思いますが、致し方ないですから、豊(弟)も上級学校に行くのはやめ、就職でもする様にしたらよいのではないかと思います。
小生も長くなる様でしたら、会社の方もやめようと思っております。様子が判明すれば小生より会社の方に通知する心づもりです。豊、久子、敦子(弟妹)にも良くお伝え下されたく、何も悪い事をしたわけでなし、恥ずる事は全然なく、天地神明に対し極めて明朗なる次第です。ただ今、極めて平静なる気持ちで、総てを運命の神にまかせ、愉快におりますから、面会等は固くお断りいたします。親戚に機会があれば、宜しくお願い申し上げます。敬具
三月二十五日 稔拝 皆々様
命令を実行 戦争犯罪の認識なく
スガモプリズンでの検閲印の日付は4月2日。山形の家でトメが受け取るには、まだ数日かかっただろう。
すぐに帰ってくるものと思っていた息子本人からの手紙を受け取り、トメは事態はそう簡単ではないことを悟ったと思う。「愉快に過ごしている」とは書いているものの、スガモプリズンに入所してひと月になる幕田は、すでに会社に戻ることも家に帰ることも叶わないことに気づき、腹をくくっているように読める。
幕田の生家に残る弟はこの時、18才。進学か就職かの岐路に立っていた。幕田の収入が途絶えることで家族の未来も変わろうとしていた。幕田は、すでに石垣島事件のことで戦犯に問われて調べを受けている状況だが、自分が米兵を処刑する実行役に指名され、命令通りに一人を斬首したことが、戦争犯罪になるという認識はまったくなかった。







