事件の1か月前にガス爆発事故

幕田大尉の懲罰言渡書

すると、幕田の母トメの遺品の中から幕田の軍歴など海軍の文書が出てきた。その中に「懲戒言渡書」があったのだ。石垣島事件のひと月前、幕田隊で大きな事故が起きていた。

<幕田稔海軍大尉への懲罰言渡書 1945年3月20日付>
その官は石垣島警備隊付第二十三震洋隊長として勤務中、昭和20年3月14日8時35分、出撃準備の令あるやすぐに各配置、准士官以上監督の下、総員作業を開始。12時15分、第四第五格納庫の艇二十四隻の外出撃準備完了せるを以て、一旦昼食に就かした。12時30分、再び作業を開始せるところ、第五格納庫の最奥にありし第三十八号艇を同艇搭乗員・海軍二等飛行兵曹〇〇及び整備員・海軍上等機関兵○〇が整備にあたり、信管発火電路の点検中、二次電池端子と電らん(ケーブル)の接合不良なるを発見、修理中「スパーク」を生じ、一瞬にして庫内充満のガスに引火、前記二名の顔面手足の露出部に大熱傷を負い、消火の暇なく脱出し、付近に居合わせたる数名の下士官兵はすぐに防火用砂等を以て消火に努めたるも、火勢猛烈にして成功せず、急報により総員かけつけし時に、火焔は全格納庫をおおい、かつ敵機来襲頻繁にして消火、意の如くならず加うるに、在庫艇十二隻は燃料満載且つ頭部爆薬装備しあり、爆発の危険を顧慮し総員を退避せしめ、被害局限に努めつつ該格納庫の状況を監視しありし所、約一時間経過するも燃焼するのみなるを以て爆発の危険去りたるを認め隊員及び他部隊の協力を得て消火に努め、17時30分鎮火せるも、該格納庫の一棟ならびに在庫の四艇十二隻全焼の損害を生じしめたり。