部活の引率中、ホテルで倒れた

当時、3年生のクラス担任や、バレー部の顧問、さらには、学校行事を管理する企画主任など幅広い業務を任されていた誠治さん。
およそ20年前の冬、41歳の時に、バレー部の引率で訪れたホテルで打ち合わせ中に脳出血で倒れました。

安徳晴美さん
「目標、早く元気になってねって娘が当時の日記に書いています。お父さんに」

まだ幼かった2人の子供を残したまま、誠治さんの意識はそのまま15年間戻ることはなく、2017年に息を引き取りました。

安徳晴美さん
「家族を幸せにするために働いた結果、命を落としてしまった」
「息子は元気なころのお父さんの記憶がない、それでも・・・」

そんな思いを伝えようと、安徳さんは夫の母校で初めてマイクを握りました。

安徳晴美さん
「息子は元気なころのお父さんの記憶が一切ありません。知っているのは、病室でいつも寝ているお父さんの姿だけです。だけれども息子は決して、病室のお父さんの寝ている絵を描いたことは1回もありませんでした。いつもいつもこうやって野原で手をつないで、またいつかピクニックに行こうねってそう言いながら楽しそうに絵を描いていました」
倒れる直前の1か月の残業時間は、過労死ラインを超える125時間。
公務災害に認められました。

安徳晴美さん
「私は、個人の問題にすり替えてほしくないっていつも思う。長時間労働で働く人は美しい人だったり、頑張り屋で素晴らしい人。そんな考えをみなさん持ってほしくないんです。長時間働かざるを得なかったシステムだったり、その会社の構造だったり、そういうものから生み出されてしまったことなんだということ」

これから就職を控えた学生たちは、晴美さんの言葉にじっと耳を傾けていました。

参加した学生
「人のキャパって個人個人あると思うんですけど、それって結局限界があると思うので、そこを超えてしまわないように」
安徳晴美さん
「過労死を特別な人だけに起こる、特別な現象だと思うことをやめて、あす自分の身にも起こるのではないかという、自分事として考えていくことが大事」







