「加賀百万石の祖」として知られる戦国大名・前田利家が、朝鮮出兵の際肥前名護屋城近くに築いた陣跡の基本構造が明らかになりました。

現地で最大級の堀があったとみられ前田利家の権勢を示すものとして注目されます。

前田利家陣跡

前田利家は、豊臣政権五大老の一人で朝鮮出兵の際佐賀県唐津市の肥前名護屋城近くに巨大な陣を構えました。

佐賀県立名護屋城博物館は4日、前田利家陣跡の発掘調査の結果、かつて巨大な堀が存在した可能性が高いことを明らかにしました。

堀とみられる跡は長さおよそ400メートル、深さが5メートルほどで、肥前名護屋に築かれたおよそ160の陣の中で、最大となります。

また「おもてなしの空間」とみられる庭園の入り口にあたる場所に、高さ1メートルもの巨大な鏡石が多く使用されていたことも明らかになりました。

鏡石とは城郭の入り口などに使われるもので権力の象徴と言われ、名護屋城博物館では前田利家が豊臣政権下で大きな権勢を誇っていた証とみています。

名古屋市立大学高等教育院 千田嘉博 教授(城郭考古学)
「まるでお城のようですね。名護屋城と陣というものがどういうものであったかを一歩深めて、研究していく転機になる」

前田利家陣跡の現地説明会は、11月23日と24日に行われる予定です。