胸が詰まり、嗚咽の場所でしかなかった事件現場が『夢を語る公園』に

福島敏廣さん
「『夢を語る公園』の桜の木。事件後何度も何度も花を手向けに行き、その都度胸が詰まり、嗚咽の場所でしかなかった福岡空港近くにある事件発生現場の大井北公園。そんな苦しみの象徴だった場所に変化を加えた第1歩についてお話しします」
「我が子の命の火が消えてしまうことになった事件現場の公園が、寂しくないようにとの思いで事件があった2005年の秋に3本の桜の木を贈与という形で植えさせていただき、20年前に植樹した際時は苗木の高さは1mぐらいでしたが、幹も枝も細い桜の木でしたが、今では高さは私の身長を遥かに超えて3倍ぐらいになり、幹も私の胴周り以上の立派な桜木となりました」
「娘の成長は永遠に終止符が打たれましたが、3本の桜の木と家族3人が一緒に寄り添ってこれからもずっと一緒に成長して行ってほしいとの願いからです」
「『夢を語る公園』の設立。2022年6月に福岡市の高島市長に直筆の手紙を出しましてベンチの新規設置と公園名称を『夢を語る公園』にしてほしいとお願いをしました」
「一般人の希望に答える形で行政が既存の公園名称を変えることなど調べる限り前例もなく、事前に相談した多くの方からも『無理な願いだよ』と言われ続けていましたが、私としては娘のためにも夢を追い続ける人のためにも何か足がかりとなる場所を作りたいとの思いで必死に嘆願しました」
「そしてなんとその願いは通じ、異例中の異例として動き始めたのです。市役所、区役所の担当者と幾度も話し合いを重ね、公園に桜御影石のベンチを寄贈させてもらい、大井北公園は正式に『夢を語る公園』となりました」
「夢というのは決して諦めてはならない。必ず形になるのだとこの年になって体感できました。この『夢を語る公園』が世の中に広く認知され、1人でも多くの方に公園に来てもらい、公園が夢の発信基地となるような取り組みを進めたいと考えています」
「啓子はどんな時も常に夢を語って生きていました。それならこの現場を『夢を語る公園』と呼んでもらい、桜御影石のベンチを設置し、誰もが気楽にそのベンチに腰掛けてみんなで夢や悩みを語り合えるような空間を作りたいと思いました」