◆取材に突き進んだ原動力とは?

そして柴田さんは、著者の堀川さんに対して質問します。

学生の話を聞く堀川惠子さん(左)

柴田純一郎さん:原爆が投下されて時間が経っているわけじゃないですか。遺骨を返す作業は相当な困難が伴われたと思います。多分、本当に心が折れてしまうような出来事がたくさんあったと思うんですけど、堀川さんを突き動かしたものは一体何だったのか、と。

堀川惠子さん:柴田さん、ありがとうございます。原動力は何か…やっぱり取材に出ると、みんなウェルカムだと最初は思ってたんです。「行方不明だったお兄さんの遺骨を探してくれて、ありがとう」「お母さんの遺骨ここにあったのね」って、みんなが喜んでくれるだろうという非常に浅はかな見通しのまま始めたら、「もう来てくれるな」と怒鳴り返されることもあったし、「そこに遺骨があることは知っとる、触ってくれるな」という人もいましたし。

堀川惠子さん:やってるうちに、「そうか、今私がやっていることは、原爆供養塔に眠っておられるご遺骨をご家族に戻すことではなく、戻すことを通して『この70年という歳月がどんな風に過ぎていったのか、原爆で亡くなった方々を巡ってこの歳月はどういうものであったのかという現実に、ちゃんと向き合う仕事なんだな』」と感じました。広島市役所のお偉いさんから呼び出されて、「堀川さん、もう遺族捜しはやめてください、そっとしておいてください」と言うのです。「そっとしておいてください」と「放置する」って同じ言葉だな、と思ったんです。

堀川惠子さん:戦後もっと早く、佐伯さんがふと気づいて遺族探しを始められるよりももっと前に、行政が…。広島って、戸籍簿が疎開させていて残っているんですね。ちゃんと照合する手続きをやっていれば、もっと多くの人が家族のもとに帰れたはずなんです。それをせずに来て、放置しておいて、今更「そっとしろ」とはどういうことか。だから、原動力を一言表現すると、それは「怒り」です。それは、市役所に対する怒りということではなくて、こんな大事なことを、戦後ずっと知らないことにしてきた、自分も含めての社会に対する怒り…。だから「お一人でもいいから、とにかく絶対に返すぞ」という気持ちで取り組みました。

答えを聞いて、柴田純一郎さんは圧倒された感じでした。この本は大宅壮一ノンフィクション賞も受賞していて(2016年)、知られざる原爆の実相を示しています。そこには被爆者差別の問題などいろんなことがあることもよくわかる本で、学生さんが読むのには本当にいいな、と思いました。

◆演劇人と戦争

最後の1冊は、『戦禍に生きた演劇人たち―演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇』(講談社文庫、税別900円)。戦争協力の演劇を演じさせられ、原爆で全滅した「桜隊」を追ったものです。担当した柿木ゼミの福崎彩乃さんは、こんな感想を述べました。

報告者の学生3人

福崎彩乃さん:戦争によって、自分が憧れて入った演劇の世界であるのに、国家によって演劇を奪われ、利用されていた当時の演劇人たちを思うと、読み終えた後もやるせない気持ちでいっぱいになりました。本来は娯楽であるはずの演劇が戦争に利用されたことは、今までの教科書の内容や平和教育などでは知ることができなかったため、「戦争について、自分は何を知っているのだろう」と考えるようになりました。

福崎彩乃さん:歴史の授業で年号や事件の名前を覚えたり、道徳の授業で平和教育などは出されていますが、それは受身的な教育で、表面的な内容のみを教わるということが……私の今まではそうだったので、「今を生きる私たちにも関係の話ではないな」と改めて危機感を抱きました。

「私は戦争の何を知っていたのか」「形だけでしか知らなかったのではないか」と、福崎さんは考えたそうです。