自らの「知性」に対する揺るぎない自信と執着

何でこんな失言を繰り返すのか。恐ろしい話ですが、川勝氏は自身が高い知性にあふれた人物であるということに対する揺るぎない自信があるんですよ。彼の話を聞くと、その「知性」への執着がずっとあるなと思うんです。

2020年には、当時の菅義偉首相による日本学術会議の任命拒否問題が問題になりましたが、その時「学者軽視、アカデミズム軽視」とされた菅首相に対して川勝氏は「教養レベルが図らずも露見した」「あの人は学問をされた人じゃない」みたいなことを言っています。

「ハレーション起こしたくて敢えて言っているのかな?」と、訝しく思ってしまうぐらいです。彼からすると、大学の学長まで務めた自分が言うから、アカデミズムに関しては、首相よりも自分の方に説得力があるという揺るぎない自信があるんだと思います。だけど、僕に言わせるとそれはあくまで彼の定義する知性ですよね。

「知性」の使い方

その知性という言葉を使って、今回はいちばん言っちゃいけないことを言ったわけです。改めて紹介すると、静岡県庁入庁式の訓示での「野菜を売ったり牛の世話をしたり物を作ったりとかとは違い、基本的には皆さんは頭脳や知性の高い方」というくだりです。

これはおそらく「皆さんは公僕として、誇りを持ちましょう」という意味だったんでしょう。あのとき「県庁はシンクタンクだ」とも発言していましたが、このあたりでもし「カタカナ語を出せばグレードアップした」ように思っているのだとしたら、いささか古い感性を持っているな、と僕は思いました。もっともこれは、僕が住んでいる東京の小池百合子知事もよくやる方法です。

僕は「知性というものは正しく使いましょう」と言いたいんですが、最後にお話したいのが僕の友人でもある、ゴスペラーズの酒井雄二さんのことです。酒井さんは音楽仲間の間では、とてもユーモラスで知性もあるバランスの取れた人で、人格者として定評のある人です。その彼が4月3日にこんなポストをXに投稿しています。

「農業にも高い知性は存分に生かせますよ。役立つ局面は多岐にわたると思います。(梨農家に生まれた私の体感です)」

くすっと笑えるような、でもリアリティのある言葉ですよね。僕は、知性というのはこのようにして使うものじゃないかなと思っています。