母親も生死不明 孤児となり朝鮮半島へ

被爆から2か月後の袋町国民学校

母親も生死不明、父親はすでに他界していたため、友田さんは孤児となりました。自宅に下宿していた朝鮮人の男性と韓国に渡るも、現地で生き別れとなってしまいます。その後すぐ、朝鮮戦争の戦火に巻き込まれ、生活はどん底でした。日本語も忘れていたといいます。

そんなときに出会い、面倒見だけでなく、帰国を要請する手紙を広島市役所などに何十通も書き送り、帰国を実現させた女性が、梁鳳女(ヤンポンニョ)さんです。