原爆の惨禍をかろうじて生き残った人たち。しかし、被爆から何年もあとになって原爆の放射線は被爆者の体を蝕んでいきます。放射線被害の象徴といっても過言ではない姉弟のその後です。
「おかあちゃんだ」。広島市の原爆資料館に展示された姉弟(きょうだい)の写真。当時9歳の池本アイ子さんと7歳の徹さんです。
写真を見つめるのは、アイ子さんの息子の山澤寛治さんです。
幼い姉弟の写真は、放射線被害を訴える象徴的な1枚として、原爆資料館に展示されています。

2人は爆心地から1キロで被爆しました。被爆から数日後、2人の体に異変が起きました。
当時のことを、1994年に取材に応じた母・池本タメ子さんは「4、5日してから髪が抜け出して。あまりに抜けるから抜けるだけ抜けっていったら、全部ないなった」と話していました。
放射線による急性障害でした。

その後、2人は回復したようにみえましたが、被爆から4年後、徹さんは突然体調を崩しました。遠足から帰ってきたその日でした。そして、そのまま入院し、わずか11歳で亡くなりました。