今年は長崎大水害から40年です。
あの日長崎市民が体験した暗闇の中での大雨の恐怖。
ようやく迎えた夜明けは水害の本当の被害を知る瞬間となります。


消防車のサイレンの音「ウー」


雨が小康状態になった7月23日深夜(24日午前1時過ぎ)長崎市の中央橋交差点です。


前の日から降り続いた雨が、ただの大雨で終わっていないことを誰もが覚悟しはじめていました。


災害の情報は市や警察へ集められますが、このとき被災地では電話が不通となっていました。
警察本部の黒板には多数の『死者・生き埋めの人数』が記されていました。
各地で道路も寸断され災害の全体像がつかめない状態が続きます。

そして、恐怖の一夜が明けます。

次第に判明する被害。その全体像は想像を超えていました。
長崎市鳴滝地区土石流で斜面の住宅が押し流され、この地区だけで死者・行方不明者24人の被害が出ました。

変わり果てた浜の町周辺の様子も明らかになってきます。
いたるところに放置された車の残骸、夜が明けても街は止まったままでした。


道路はめくりあがり、アーケードにはあらゆるものが流れ込んできていました。


長崎は街としての機能を失っていました。

降り続いた雨。
民家を襲った土石流、そして変わり果てた街の景色が市民に衝撃を与えました。
この水害による長崎県内の死者行方不明者数は最終的に299人に達します。