あの夏から40年。思い起こそう長崎大水害 空から見た爪痕。
今回は唯一の県道が寸断され、被災から一週間経っても孤立していた集落と、一連の水害で一番早く被災した街です。

1982年7月29日──孤立して7日目に入っていました。

ヘリコプターから撮影された映像には、川の護岸や屋根などに掛けられた大量の布団が映っていました。
この集落は、陸上から入れない、そして外部にも行けない状態が続いていました。

映像が撮影されたのは長崎市中心部から直線距離で10キロ離れた千々町です。
この千々町など橘湾沿いにある複数の集落は、1週間にわたって孤立していました。

記者レポート:
「県道や小さな農道は、いたるところで山崩れにあいまして、寸断されたままです。復旧作業もこの地区までは、ほとんど及んでいない状態です」

唯一の道路である県道は数か所で破断。その数の多さから復旧も進まず、住民の生活物資は海から船で輸送されていました。

長崎大水害は広域的な災害でした。
当時、外海町だった長崎市神浦地区──ここでも被害が広がります。

大雨で神浦川に架かる橋が崩壊しました。

神浦や大瀬戸は長崎大水害の雨が一番早く降り出した場所でした。
ここで起きたこと、そして、それ以上のことが、約1時間後には長崎市で起こり、未曾有の災害へと発展したのです

あの日長崎で何が起きたのか?
1982年7月23日夜の119番通話 音声:
救助を求める人「何にも持たなくて避難しているんです。助けてください」

消防通信員「119番消防です」
救助を求める人「家にですね…」
消防通信員「人が生きるか死ぬかしてますか?人命に危険ですか?」
救助を求める人「川から水が…」
消防通信員「…ご自分たちでね、避難をしてください!」

救助を求める人「家の後ろのがけが崩れたんですよね、あー頭に、もう…」
消防通信員「もしもし!避難をしてください!避難を!」

それまで経験したことのない雨に襲われた街

暗闇の中の悲鳴
変わってしまった街の姿
そして、絶望から立ち上がった人々──

次回からは、長崎大水害を ”出来事別” に振り返ります。
思い起こそう長崎大水害「映像の記憶」
あの夏の雨から間もなく丸40年です。