長崎市は23日、長崎原爆資料館の展示内容リニューアルについて審議する運営審議会の小委員会で、議論となっている「日本の加害の歴史」の扱いについて「多数の民間人や捕虜を殺害する南京事件を引き起こした」と表記する素案を示しました。

長崎市が示した素案では
「1937年7月、北京近郊で日中両軍が衝突した盧溝橋事件を契機に日中戦争がはじまりました」

「日本軍は、中国の根強い抵抗にあいながら戦線を拡大し、12月に首都南京を占領。その過程で多数の民間人や捕虜を殺害する南京事件を引き起こしました」と表現しています。

これは23日午前から開かれている、長崎原爆資料館運営審議会の小委員会で市側が示したものです。

市が進める長崎原爆資料館の展示リニューアルは、1996年の開館以来の大規模なものです。若い世代にも、戦争や核兵器の問題を自分ごととして捉えてもらえるよう、時代の変化に合わせた展示への更新を目指しており、当初は被爆80年にあわせて完了する計画でした。

しかし、原爆投下に至るまでの「日本の加害の歴史」をどう展示するかについて、委員の間で意見が対立。

「加害の歴史と向き合ってこそ、原爆の被害や平和への思いを世界に発信できる」とする意見の一方で「南京大虐殺はでっち上げだ」とする意見も上がり、リニューアル完了時期を延期して議論が続いています。