被爆当時15歳だった辻原光男さん。
長崎商業学校の3年生で、動員学徒として三菱兵器製作所で働いていました。
8月9日は夜勤明けで、爆心地から1.5キロ離れた本原町の下宿に帰り被爆。
全身に大やけどを負い、生死の境をさまよいました。
やけどで想像もつかない顔となり、首や手首のケロイドは手術を繰り返しました。人前に出たくないと思った時期もありましたが、同級生からの励ましで前を向けるようになり、1973年の平和祈念式典では、被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げました。(1999年撮影)