被爆者だけで作る世界で唯一の合唱団『 歌う会ひまわり 』が今月から被爆者以外のメンバーを迎えて再出発することになりました。
まだ練習を始めたばかりですが、いつかその活動の幅を広げて「二度と被爆者を作らせない」との思いを歌で広く発信したいと考えています。
新たにメンバーに加わった人たちの想いを聞きました。


声出し「マーマーマーマー」

今月発足したばかりの『平和を歌う合唱団 ひまわり』
まずは基本の発声練習から活動をスタートさせました。

前身である『被爆者歌う会 ひまわり』の会員と、“ 歌詞も メロディも 初めて ”の新メンバーで構成されています。


♪平和祈念式典での歌唱「もう二度と 作らないで 私たち被爆者を~」


被爆者だけで作る『ひまわり』は2003年に発足。平和祈念式典をはじめ、世界中で平和の歌を届けてきました。


しかし高齢化が進み平均年齢は81歳。
最大60人ほどいたメンバーは11人となりました。


平和を歌う合唱団ひまわり 田崎 禎子 団長(82):
「(コロナ禍で)レッスンもできませんし、学校訪問などの活動もできませんし。ひまわりも人数が少なくなって、ちゃんと歌えるかしら」


平和を歌う合唱団ひまわり 主宰 寺井 一通さん:
「(式典の出演は)もう今年を最後にしなければ、ちょっと来年は無理だなあという感じが」

一方、ロシアによるウクライナ侵攻でほのめかされた核兵器の使用。さらに北朝鮮によるミサイル発射など、“平和が脅かされる事態”が続いています。

被爆者の核廃絶の願いを伝え続けることはできないか──
メンバーで下した決断は “被爆者以外も広く参加できる組織” で再出発することでした。


田崎禎子団長(82):
「後を継いでいってくださる方が1人でも多く参加されると心強くなりますので、そこは期待しております」


新メンバーの募集は9月末から始まりました。
その1週間後、『ひまわり』の活動に賛同した9人が さっそく練習に加わりました。


新加入 小川 凱營さん(81):
「テレビで(新団員募集の)案内を見ました。気持ちがそういうふうに行ってみようかなと思って」


新加入 尾崎 眞理子さん(70):
「ひまわりさんの活動が存続できるんであれば、ご協力させていただくこともできるんじゃないかなと思って」

これまで運営面で『ひまわり』を支えてきた被爆二世も、歌い手として活動に参加します。


新加入(被爆二世)月川富美子さん(57):
「被爆者の方に比べれば年は若いので、私達でできることってまだいっぱいあると思う」


主宰・寺井一通さん:
「寂しいことですが、そんなに遠くない将来には被爆者のいない合唱団になることは必至です。
すべての団員が心を1つにして合唱団ひまわりを素晴らしいものにしていきましょう」

♪ 明日こそきっと この夢は~

練習・指導「明日~、ね。“た”から歌う人がいます。明日こそ~、じゃない。“あした”って歌ってください。ね、タイトルにもなっているわけです」


新メンバー 重松 幸子さん(78):
「歌で訴えていきたいですね。歌は大好きですから」


重松さんは現在78歳。長崎に原爆が投下された77年前は父親の仕事の都合で北京に住んでいました。


重松 幸子さん:
「母に抱かれてここにちょっと映ってるだけね」

翌年、長崎に戻ってきましたが、当時幼かった重松さんに原爆の被害を受けた長崎の記憶はほとんどありません。

重松 幸子さん:
「夏でも、あらあセミが鳴きよるね、いま夏ね、ぐらい。季節感の感覚もそれでしたよ。何もかんもなかったですね」

『被爆地』で暮らしている実感がないまま過ごしてきたという重松さん。

戦争と原爆を知る同世代のメンバーと知り合ったことで、自分も伝えなければという思いが芽生えました。


重松 幸子さん:
「やっぱり(ひまわりの会員の)お話を聞いたりなんかしているうちに(実相が)わかってきましたね。
今までは自分のことで一生懸命だったけど、それ以外にもね…できることはしないとねっていう気持ち」

♪ 明日こそきっと~…

『世界で唯一の被爆者だけの合唱団』から、世代やメンバーが変わっても “ひまわりが伝えるメッセージ” は変わりません。

重松 幸子さん:
「声に乗せて思いを発信したいですね。一生懸命頑張ってね上達してきます。練習してきます」


平和を歌う合唱団ひまわり 田崎 禎子団長(82):
「今までのひまわりとしての活躍がもしできるんであればそういう形でも前へ。この日本だけじゃなくて世界に歌声が届くように活躍ができればと思います」

新たに発足した『平和を歌う合唱団ひまわり』──
「二度と被爆者をつくらせない」というメッセージを歌を通して伝え続けます。