「反省は自分のため」

ドラレコの映像・右側が田中さんの車(北海道小樽市・2024年9月)視聴者提供

(大沢被告の法廷での態度はどのように見ていたか)

田中さんの父親
今回の法廷ひとつで、その個人の方の反省を評価するということは、したくもないですし、法廷で深く一礼をいただいたから我々に対して、我々またはその亡くなった息子に対して尊厳の意を表していただいたという受け取りは難しい。

今回、1日のことで、加害者のそういったことの受け取りというのは基本的に変わらないし、根本的には息子を殺した憎い奴です。そこが法廷で会ったことによって変わる、また裁判の過程で反省の弁は確かにあるし、それだって言葉は悪いですが、言おうと思ったら言えますよね。自分のことはたくさん言える。息子の尊厳に関しては触れてくれませんでした。裁判時でも。だからそれに関して、その裁判を通じてその加害者に対する感情が変わった瞬間というのは一度もありませんし、今日の時点でも変わらないです。

田中さんの母親
息子に対してどう償っていくかっていう発言はなくて、とにかく今後こうならないために運転はもう2度としませんというような発言と、あとは私達にただ頭を下げて一礼をする。だから、自分(のため)だったのですよね、相手の発言はすべて。

それに対して評価するとなると、裁判なので少しでも減軽したいがために反省しているふうに発言はしているなと思いますけど、本当に反省して息子のことを思って何かをしたということは、ひとつもありませんでした。

裁判を通じて知りたいと考えていたこと、最後まで分からなかったことは)

田中さんの父親
裁判を通じて分かることというのはおそらくないと予想していました。(捜査機関の捜査は)事実なのだろうと思うので、そういったことが事実として積み重ねられて、いまの判断に至っていることは、今回の裁判でも間違いなかったとは思いますが、今回の裁判に至るところで、我々にとって少し予想外だったのは、求刑そのものが少し低いかもなと思われること。でもこれは法律の解釈だから、僕らどうすることもできない。

加害者そのものが僕らに真摯に寄り添ってくださっていたのだなということが新たに分かったとか、そんなようなこともなかったわけですし、結局、最終的に得たのは、これはひとつの客観的な結果事実として出てきた4年6か月というようなことで、4年6か月は僕らにとっては知りたくはなかったですね。

田中さんの母親
被害者参加型の裁判に出てよかったのは、全ての証拠、証言を読むことができた、見ることができた。なぜ息子があのタイミングで殺されなくちゃいけなかったのか、ただ裁判で傍聴しているだけでは絶対分からないことを見聞きできて、納得がいくものではないですけど、こうやって息子は殺されていったのだということは理解できました。

息子が亡くなる直前の、車のドライブレコーダーの映像も見ることができました。正直、その証拠を見る時に最後の息子の声が聞けるかなと、どんな声であれ、思っていました。

でも、衝突音だけで息子の声は聞こえませんでした。つまり、ほぼ即死だったということになるのですけれども、聞きたかった反面、母親としては、息子の声が入っていないということは苦しむ時間が少なくて済んだのだな、それを心にとどめるというか、それが分かっただけでも苦しむ時間、「痛いよ、痛いよ」と言っている言葉が聞こえなくてよかった。今回の裁判において、そこだけです。

遺族側は検察に控訴を求める意向

また、会見の最後に遺族の代理弁護士は、検察側が被告人に有利な情状を含めて懲役5年6か月を求刑したのに対し、裁判所はその情状から、懲役4年6か月としたのは、量刑判断として不服であるとして、検察官に控訴を求めたいと述べました。