本土決戦に向け沿岸20か所に基地を計画

愛知県東浦町の大岩正一さん88歳。月に3回、健康のための運動教室に通っている。
(元回天搭乗員 大岩正一さん)
「70年前は特攻で死ぬため、今は生きるための訓練。誰かに迷惑をかけて長生きしたくないから」

大岩さんは終戦の10日ほど前、出撃のため、愛媛県の基地に配属された。
(元回天搭乗員 大岩正一さん)
「8月3日の夕方だったと思うが、きょう出撃するという命令が来て。昔は短刀をいただいて出撃していたが、短刀がなかったので香水をかけてくれた。本土決戦になると思っていた。どうすることもできんのだなと。残念とか悔しいとかを通り越して、やるしかないんだということ」

本土決戦を覚悟していた日本は、沿岸の約20か所に回天基地を計画。潜水艦は使わず、海岸から回天を発進させ、接近する敵艦を迎え撃つ作戦だった。
回天の本土配備は、愛知県の南知多町でも進められた。基地の完成前に日本は降伏し、実際に使われることはなかったが、回天搭乗員が住むための洞窟が残されている。

大岩さんは、出撃はしないまま基地で終戦を迎えた。
(元回天搭乗員 大岩正一さん)
「戦争に負けたんだなと。将来がどうなるんだろうと不安になった。一週間くらいで家に帰ったと思うけど。兄は戦死したということを聞いて。日本は大変なことをやっちゃったんだと思ったが、怒りをぶつける先がないので怒ったってしょうがないと」