兵器になろうとした若者たち

名古屋に住む、回天搭乗員の生き残り、岡本恭一さん(90)は、この日戦友を訪ねた。同じ基地で訓練していた大岩正一さんと15年ぶりの再会。ビールを飲みながら昔話に花を咲かせた。

(元回天搭乗員 岡本恭一さん)
「もうあんたと2人きりになった。大津島に来ていた仲間も死んだ」

(元回天搭乗員 大岩正一さん)
「孫に昔の話をしようとしても聞いてくれないというか。特別いいことをしたというわけではなかったから。一度死ぬと決意しながら生き残った複雑な思い」

(元回天搭乗員 岡本恭一さん)
「我々は訓練が死に直結すると思っていなかった。回天の中で泣いたとか、たまに聞くけど、そういう人は珍しいと思う。突撃したいと思っていたね。訓練の達成が一日も早くしたいと。ただ、私は大岩君がうらやましかったね」

(元回天搭乗員 大岩正一さん)
「命を落とすなんて全く考えなかった。戦果を挙げるんだと。そういう気持ちだけ」

(元回天搭乗員 岡本恭一さん)
「誇りとは言わないけど、よくこういう兵器でよくやったなと思う」

三重県伊賀市に住む坂本雅俊さん。恐怖と戦うための軍歌を披露してくれた。

(元回天搭乗員 坂本雅俊さん)
「軍歌を歌ったり刀振ったり自分の心を鼓舞していた。成功することは死ぬこと。それとの葛藤が、いつも軍歌や刀で自分の心を静めていたというか押さえていたという感じ」

ことし、ひ孫も生まれた。

(元回天搭乗員 坂本雅俊さん)
「これからああいう戦争を起こすことは…平和でいけよという願いを込めてかわいいかわいいしている。あんな時代に生まれてくるなよと」

名古屋に住む特攻兵の生き残り、岡本さんに「生き残ったこと」についてどう振り返るかを聞いた。


(元回天搭乗員 岡本恭一さん)
「終戦がわかったときはほっとした。生きていてよかったと思った」
「戦争はやらない方がいいけど、やむにやまれずやることもある」

Q70年前の自分に何と声をかけますか?
「『戦死してこい』と声をかけると思う」


あの時、若者たちは死ぬためだけに生きていた。わずか70年前の出来事だ。