愛知県の名古屋空港に中華航空機が墜落し264人が犠牲となった墜落事故から、4月26日で丸29年です。同乗していた母親を亡くし、自らは生き延びた男性の思いを取材しました。

29年前、1994年4月26日に起きた「中華航空機墜落事故」。

台北発の航空機が名古屋空港で着陸に失敗し炎上。
乗客・乗員合わせて264人が犠牲になりました。

愛知県春日井市にある、空港と隣接する慰霊施設「やすらぎの園」で行われた慰霊式典では遺族らが花を手向けて犠牲者の冥福を祈りました。

(参列した遺族)
「おじいちゃんの存在が生まれた時からない。ここに来ると、こういう事故があったんだなと。おばあちゃんの話を聞いて会いたいなと」
「(祖父に)会いたかったという気持ちは常にあって。空で見守っていてください(と思っている)」

29年という月日に、遺族は「事故の教訓が伝わっていかなくなること」を危惧しています。

(中華航空機事故 遺族会 山本昇会長)
「この事故を忘れてはいけないし、風化させてはいけない。乗り物や社会の安全は遺族として訴えていかなければならない」

事故を生き延びたのは、わずか7人。
名古屋市で飲食店を営んでいる長谷部弘義さん(32)は、その1人です。

(長谷部弘義さん)
「この時期が近づくと母親や被害者、被害者遺族の方を毎年思っている」

当時3歳だった長谷部さん。

フィリピン人の母とともにフィリピンに帰省した、その帰りに事故は起きました。