「祖父は強制収容所で医師をしていた」
キミさんは、現役の医師でもあります。
医学の道を志した思いは、80年前の「あの戦争」とつながっていました。
(キミさん)
「私の祖父は“マンザナー強制収容所”で医師をしていました。当時は設備が乏しく、レントゲンの現像も自分で行っていたそうです」

祖父は第二次世界大戦中、日系人の強制収容所で医師を務め、終戦までの数年間、差別や苦しい生活と向き合いました。
太平洋戦争中、日本にルーツがあるというだけで、強制収容所に入れられた11万人を超える日系人。戦後80年を経て、彼らの思いを伝える取り組みがあります。











