「顔は似ていないが、骨格はロシア人譲りです」
「うちのひいおじいちゃんも、捕虜であったにもかかわらず、映画をみたり、買い物をしたりしていたようですよ」と話していた。
「その過程で、ひいおじいちゃんはひいおばあちゃんと出会い、僕のおじいちゃんが生まれたんですよ」
目の前にいる男性を見て、改めて明治という時代から、大正、昭和、平成、令和と時代が変遷しても、このDNAは脈々と受け継がれてきたのだと思うと、感慨深いものを感じた。

日露戦争の捕虜だったロシア兵の血を引く男性。「写真を見ると顔は似ていないが、骨格はロシア人譲りですよ」と教えてくれた。
確かに肩幅が広く、足腰も太かった。シベリア抑留の取材中に、ひょんなことから出会った男性から、日露戦争後にあったロシア人の「日本抑留」を知ることになった私は、この男性料理人の曾祖父母の出会いと恋愛を取材することになった。
〈これまでの記事〉
・100歳抑留者が初めて明かす 戦後80年の秘密①
・ロシア人女性との“禁断の恋” 命つないだロシア語への執念②
・強制労働先での出会い「瞳は丸く大きかった」③
・忘れられない ターニャの「ボルシチ」④
・「ハルオ、私と一緒になって」 知る由もない祖国の状況・未練⑤
・2人に訪れる転機 忘れられない彼女の表情⑥
・彼女からの最後のプレゼントは“香水”だった⑦
・帰国後勤めた会社に激震が走った“モスクヴィッチ事件”⑧
【CBCテレビ論説室長 大石邦彦】










