東京ドーム10個分の広さの田んぼを管理し、危機的状況の日本の農業を支えるため奔走する22歳の男性に密着。実は、田んぼを管理できなくなった人たちから委託されて、管理をしているのです。若い農家が少なくなる中、SNSを使って情報発信もしていました。男性の農業に対する思いとは。
高校卒業後は専業農家一筋!米を作る22歳の男性

三重県桑名市の毛利圭吾さん(22歳)。通信制の高校に通いながら家の米作りを手伝い、卒業後は専業農家一筋。2022年で8年目になります。
驚くのは毛利さんが管理する田んぼの広さ。面積なんと…50ヘクタール!東京ドーム約10個分の広さです。田んぼには1枚1枚個性があるので、数が多いとそれだけ個性が出ると話します。
8月中旬。たっぷり実った稲穂が頭(こうべ)を垂れています。稲刈りが始まると、毎日土日も関係なく休みなしで収穫が行われます。小さい頃からコンバインやトラクターに慣れ親しんでいた毛利さんは、稲刈り機の扱いは従業員の中でも随一です。
稲刈り時期の週末は、地元の友人も手伝いに来ます。これが農業や米作りに、関心を持ってもらう事にもつながっています。
(毛利圭吾さん友人)
「一番は自分も一緒に米を作っている感じがする。食へのありがたみを感じます」
「周りの友達が圭吾も含めてみんな頑張っているので、自分も頑張ろうかなと。ちゃんとご飯も残さず食べますね」
管理する9割近くが、農業を続けられずに委託された田んぼ

現在、毛利圭吾さんの田んぼの9割近くが農業を続けられなくなった人から管理を委託されたもの。その面積は年を追うごとに増えています。今や地域全体の稲作を支える立場にもなってきました。
(委託している男性)
「年が年だから、機械は危ないから使えないので助かる」
「稲刈りや田植えをやってもらっている。もうできない、機械がないから。こういう人がいなかったら日本の農業は…」

たくさんの人の思いを背負って米作りに取り組む毛利さん。誰よりも尊敬するのが、祖父の道郎さん(72歳)です。
父親代わりに育ててくれた祖父に憧れ農業の道へ

毛利さんが7歳の時に両親が離婚。その後父親代わりになったのが祖父の道郎さんでした。
(毛利圭吾さん)
「僕はお父さんがいないので、自分も男なので、男の人を見て育つということで、じいちゃんを見て育ったのが大きい」
小さい頃から「じいちゃん、じいちゃん」と追いかけていました。
(毛利圭吾さん)
「憧れの存在というか目標ですね。人を引きつける力があるんじゃないかな」
物心つく頃には自分も農家になると決めていた毛利さん。

(祖父・道郎さん)
「(農家を継いでくれて)うれしかった本当に。僕一人ではどっちみち皆さんに協力してもらわないとできない。ありがたいね~本当に」