浦佐に駅を作った理由
上野駅を外すわけにいかんから、上野から高崎までまっすぐだ。高崎までまっすぐだけどね、高崎からどうするか。高崎から水上までまっすぐにするのか、湯沢までまっすぐにするのか。世界最大のトンネルを持っておれば、トンネルの中でもって列車火災が起きたらどうしますか。不慮の事故が起きたらどうしますか。トンネルの入口には必ず補修の駅が必要なんだ。群馬県側にするか、新潟県側にするか、そういうふうに考えるわけです。新幹線は福田君や中曽根君が作ったんじゃないんです。田中角栄が推進したんだから。だからやっぱり水上駅ではなく、湯沢駅まで高崎と湯沢をまっすぐにしたから、水上を通らなかっただけです。そうでしょ。

そうすると、今度は湯沢からまっすぐにすると、長岡をまっすぐにするわけです。
長岡まっすぐにするとね、そのまんま六日町や小出を通らないわけだ。
これ長岡までぶっ通しトンネルかなと思ったらね、ちょっとした明かりがあった。
じゃあそこに駅作ろうと。
そこは国道252号線、柏崎小出会津若松線。この分岐点だからここに駅作ろうと。
そしたらそこは浦佐だった。

どうしてここに明かりがあったかなあと思ったら、よく調べてみたら毘沙門様があったんだ。そういうところなんだね。で新三条。そうでしょ? そうすると加茂が、三条の旧駅と、東三条、加茂と新津が落ちた、ということでしてね。










