お笑い芸人を目指して大阪へ

佐野
「中学校3年生ぐらいのとき、吉本新喜劇をテレビでやっててそれを観て、この人カッコいいと思って、ちょっとお笑いに興味を持ち始めて…」

大阪にあるNSC吉本総合芸能学院 大阪校に入学。
コンビを組んだが、一度もネタ見せのときにネタをやらずに1人になった。
そこから人とのコミュニケーションはとらなくなった。

佐野
「一番大きかったのは津軽弁がバレるのが嫌で、人と話さなかった。大阪のチェーンの牛丼屋さんでバイトしてたんですけど、そのバイトの接客用語しか発さない1週間とかあったんですよ」

断片的にしか覚えていない大阪での出来事は、今では面白いエピソードとして話すことで、今の芸人人生を続ける糧になっている。何よりも自分と向き合うことができた。

佐野
「やっぱり友達を作らなきゃいけない、人と喋らなきゃいけないっていうのはすごく思いましたね」

地元の友達が通っていた映画学校に馬に乗れるということで入学。着ぐるみの中に入ってアクションを行うスーツアクターを経験。そしてプロレスも。

佐野
「アメリカのプロレスがすごい好きで、高い所から落ちる選手がいたんですけど、
その選手の生き方がすごく僕の中で共鳴したというか、かっこよくて、俺もこのくらい高い所から飛び降りてみたいと思って、西口プロレスっていうプロレス団体に入れてもらいます」

改めて芸人をやるために、佐野は様々な経験をしてきた。そして再びチャンスが訪れる。

笑い声をいっぱい浴びた時、これ以上ない幸せ…

佐野
「唯一ネタで(テレビに)出させてもらうことがあって、それが動物のモノマネだったんですよ」

「猿の脳みそに口づけをする妖怪」のネタを披露する佐野うさぎさん

ネタのために動物の勉強もたくさんした。そして故郷の芸人を集めた「アオモリライブ」を通じて、青森への気持ちも強く持ち続けている。

佐野
「何足履いているかわからないぐらい いろんな草鞋を履いていますけど、
腐っても芸人だと思います。自分のことを青森の多くの人に知ってもらえるようになりたいです」

佐野の挑戦は続く。