
青森から全国、そして世界へ。今日のストーリーは「浪漫須貯古齢糖」オーナーショコラティエ 弘前出身の須藤銀雅だ。現在は東京・中野区に構える工房で全国の正統派バーのみにチョコレートを販売。さらに地元弘前市にお店をオープンし話題を呼んでいる。…


弘前で育った少年時代。須藤は遊び道具を自分で作り出す手先の器用な子供だった。

「自分なりに行動やったらこういうおもちゃができるだろうなみたいな。人に用意されたもので遊ぶとか楽しむっていうよりかは、何か自分で楽しいものを作ってみたいっていうような、そういう思いが強かったと思います」

子供の頃から甘いものが 好きだった。

今の職業を考えたのは意外にも、高校時代の部活がきっかけだった。
■ボクシングとの出会い 畑山隆則の試合 減量後に食べるスイーツ

「高校に上がった時、自分の身一つで、のし上がっていけるような、そういったスポーツって何かないかなと思ったときに、当時バンバン出てきたのが畑山さん。そういうの見ててボクシングかっこいいなと思って」
ボクシングの減量後に毎回食べる甘いものに感動、それがきっかけで目指したのが…

パティシエ…!

「自分でちょっと甘いものを作って、自分でも、食べたい人にも食べさせてあげたいっていうような思いが強くなって、洋菓子の専門学校に入りました」

パティシエの技術だけでなく、人との調和も学んだ製菓専門学校。卒業後はフレンチレストランショコラトリーで修行。
大きな挫折も 味わった。

「20代後半のときに就職したフレンチレストランで、どうしても、上の人と折り合いがつかない。性格的な部分で合わなかったりだとか。結局、中途半端な気持ちでやめちゃったっていうようなときは、これからどうしようという不安よりかは、自分が今まで大事にしてたものが崩れちゃったと…」

パティシエをやめようと思っていた矢先、転職先として出会ったのが、チョコレートの名店。それをきっかけに、自分なりのチョコレートを販売する方法を考えた。

■バーテンダーとの出会い お酒にあうチョコレート

「当時から僕はすごくお酒を飲むのが好き、それこそ正統派バー、ゆっくりお酒を飲むようなバーに行くのがすごい好きで。そういうところに飲みに行ってるときに、ちょっとずつ仲のいいバーテンダーさんが増えてきて、そのバーテンダーの方から、チョコレートのお店で働いてるんだったら、何かお酒に合うようなチョコレートとか作れないっていうお話があったんですよね」

2016年、東京中野に工房をオープン。なかなかうまくいかない経営状況の中、持ち前の体力で夜中にバイトをしながら、なんとか切り盛りを続けた。

「…2年3年やっていく中でお客様もついて、ビジネスとしてもちゃんと回るようになったときに、食材の香りとかカカオの香り、そういったものを駆使して、何かこう、地元の人たちにも楽しんでもらえるんじゃないかなっていうような気持ちがすごくあったので、なので結果的にそれが地域貢献に繋がればいいのかなと思ってます」


数多くのチョコレートには、須藤の心が映し出されている。それは味、美しさ、形など、どれをとっても須藤流。



※数寄屋橋サンボア オーナーバーテンダー 津田敦史さん
「最初、お若かったので、どんな方なんだろうと思ってたんですけども、チョコレート自体は当時から、繊細で華やかで、ものすごく考えられて作られているなというふうな印象がありました。応援しますし、彼のチョコレートは本当に私も元気をもらえます」

■In the feature(未来)
「地方から出た人間でも、日本全国はもちろんですし、食の文化を盛り上げていってその世界に対して発信をしていく、そういった活躍していくっていうこと自体が地元への恩返しになればいいのかなと思ってます」

■次なるターニングポイントへ
「今、後悔ないようにやってるのですごく楽しくできてると思います」次なるターニングポイントヘ向けて、須藤の挑戦は続く。
