ソフトバンク・和田毅(42、わだ・つよし)が晴天のキャンプ第2クールの初日、初めてのブルペン入りした。キャッチャーを立たせたまま、ストレートを自身の背番号と同じ「21」球を投げ込んだ。入団以来、日本で背負い続けた「21」は伝説のホークス投手・杉浦忠さん(南海1958~1970、すぎうら・ただし)の番号であり、自身の誕生日にち(1981年2月21日)と重なる等、愛着をもつ数字だ。

キャンプ初ブルペンは背番号と同じ「21」球を投じた


チーム最年長投手は「ブルペンで強めのキャッチボール程度、傾斜で投げられたのはよかった。あくまで開幕に合わせることが大事ですし、年齢のこともありますし、そこはしっかり我慢することは我慢して上げていけるように頑張りたい」とシーズンをしっかり見据えた。

和田を慕ってチームを超えて自主トレに集結

40歳を越えての自己最速149キロをマーク、昨シーズンはチーム2位の8勝を挙げた。日米通算163勝、今やパ・リーグ最年長選手となった。プロ22年目の始動はキャンプを迎える以前から始まっていた。1月、今年で6回目を迎えた長崎での自主トレには他球団の選手を含む過去最多16人が参加した。

多くのプロ野球選手が和田選手を慕って自主トレに集結


和田毅:
決して僕が誰一人誘っていないんですけど本当に毎回毎回『いいのっ?』て聞くんですけど、たくさんの選手が来てくれる。その中で切磋琢磨している、いい時間を僕も含めて過ごさせてもらっている。

率先して走り続ける

現地では参加した後輩たちを常に気にかけながらも、自身も野球に打ち込む姿勢は変わらない。後輩たちからは「追い求めたくなる」「憧れの人と練習できている」「生きた教科書」と慕われ、ここまで参加者が増えてきた。教えながらも自らも学ぼうとする姿勢、年齢と実績を重ねても奢らない性格がさらに後輩を魅了する。教え方も和田のプロ意識が込められている。

後輩へも教える


和田:
自分の思う大切なことを伝えていきたい。全て基礎になる部分だと思うので。しっかり、自分がイメージしたトレーニングがやれれば、年いってから今までなんでこのトレーニングができていたのにスピード落ちてきたとかやたら怪我が多くなってきたとかそういうのを防ぐとか、自分で気付いてすることにイメージしてできるので、長くやれる準備を今からやっといたほうが良いのかなと…一番大事なところはしっかりと教えてあとはやっていく中でだんだんわかってくると思う、(わかって)きてくれたらいいんです。

150キロ出せるもんなら出したい

あえて全部は伝えず自分で考えさせる。そして自身の発見や気づきもあってこそ、ここまで進化してきた。
和田:
(大事にしている事は)日頃の習慣というか、ルーティン、ストレッチするとか日々の気づきしっかりセンサーを張っている。(27、28歳の時は)ただひたすら馬のように走っていただけです。走っておけばなんとかなるみたいな感じで。走るのに関しては怖くなかったし、すぐ投げられたし、今みたいに全然やっていない。アメリカ(メジャーリーグ)に行って考え方が変わった。トレーニングもそうですけど、ウエイトトレーニングもしっかりやらないと持たないなと、特に年齢行ったら、トレーニングしとかないと。自分のいい状態を維持するにはトレーニングなしでは絶対に無理だと思う。ウエイトだけじゃだめだし走るだけだとだめだし、僕にとっては。150キロ出せるもんなら出したい。(そのために)今やってる延長線上にはなりますけど、今のトレーニングもそうだし、維持が出来ればいい。出るに越したことはないですけどスピードだけを求めるトレーニングだけはしたくないですし、両方(やる)。

「150キロ出せるもんなら出したい」22年目へ臨む自信のコメントといえる 

和田毅(わだ・つよし)

179cm/80kg 左投左打 1981年2月21日生
島根県出身 浜田高~早稲田大~ダイエー(02自由枠)→ソフトバンク~MLB(オリオールズ~カブス)~ソフトバンク(16-)
デビュー03年に14勝で新人王となる活躍でチームの日本一に貢献。2010年には17勝で最多勝利とベストナインとMVPを獲得。2016年は15勝で最多勝利と共に最高勝率.750をマークした。