新春インタビューは、ことしのパリオリンピックでメダル獲得が期待される、ウエイトリフティングの宮本昌典選手です。
埼玉県で行われた年越し合宿を取材してきました。
宮本昌典選手
「まあメダルは、絶対欲しいですね。なおかつ、オリンピックに出ることが目標ではないので、その上を見始めているので、見始めているというか、見ているので、絶対そこは叶えるべき目標だし獲らなきゃいけないと思っています」

2024年、勝負の年を迎えた、ウエイトリフティング・宮本昌典26歳(那覇市出身)。
男子73キロ級で去年5月のアジア選手権を初制覇。
世界ランキング3位につけ、パリオリンピックは悲願のメダル獲得をめざしています。
三宅敏博ヘッドコーチ
「基礎的なパワーは必要なんですけど、あくまでも彼の魅力は全身を駆使するうまさなんですよ」
「四肢、腕と体幹と足というこの三位(さんみ)を連携させる連動させるかっていうのが、うまいんですよ、体の使い方が」

大学時代から、年末年始は年越し合宿に参加する宮本。
二十歳の成人式以来、沖縄で正月を迎えたことはありません。
東京国際大学を卒業後も指導を受けるのは、ヘッドコーチの三宅敏博さんともう一人、監督として彼を見守る、ウエイトリフティング界のレジェンドです。

宮本選手
「“義信監督”は一個前の東京オリンピックで金メダルを獲った、ましてや2連覇した、世界記録も獲ったっていうすごい人で」
「近づけないけど近づかないといけない存在」
日本ウエイトリフティング界唯一の五輪金メダリスト、三宅義信さん。
60年前、1964年の東京オリンピックと、68年のメキシコオリンピックで
2大会連続の金メダルに輝きました。
現在84歳。この日軽やかな足取りで向かったのは…
野球のノックを活用し敏捷性を鍛えるんだそうです。

三宅監督
「見てパッと動ける、これが要するに、同じく(バーベルを)挙げていても、万が一失敗するなと思っても、うまくいろんな筋肉で支えられる、そういうものをこういうもので鍛えていかないと」
「これは俺流の練習でございますから」
三宅監督との師弟関係はまもなく9年を迎えます。
監督は、高校時代の宮本を初めて見た時の印象を、こう語りました。

三宅監督
「これから日本のウエイトを背負っていく力を持っているんじゃんないかなという見方をしておりましてですね、はい」
(Q三宅さんの思う練習や精神面が備われば、どこまで伸びると思いますか?)
「金は獲れますよ、だって金を獲った人が教えていますから」"
ただ、その難しさも監督は知っています。
コロナ禍で1年延期となった東京オリンピック。
2020年にピークに合わせていた宮本は、メダル獲得に失敗しました。
三宅監督
「東京オリンピックが早く、1年早くあったら、メダルを獲っていると思います。それがずれたのでくすぶっているわけですよね」
「練習積んで練習積んで、それでもこれでもかって言ったって、なかなか難しい面が出てくるんですよね。だから本当に運なんですよ」

パリオリンピックを27歳でむかえる宮本。
アスリートとしては、成熟期の年齢をむかえます。
2度目のオリンピックに向けた心境は、落ち着いていました。
宮本選手
「大体、体も出来上がってきたのでようやく、今まで作り上げたものを完成させなくちゃいけないという気持ちは大きいですね」
「結果を残したいのは自分もあるし、そのために何をやればいいのかもわかってきているので」

三宅監督
「コンディションによって毎回毎回(フォームが)変わるんですよ、そのためにコーチが必要、コーチがよく見ていないとわからないですよね、その辺が」
三宅ヘッドコーチ
「90パーセントあたりの(重量)は大丈夫なんですよ、大丈夫っていうのは力で挙がるんですよ。でも93超えて95パーセント以上っていうのは力だけではコントロールが利かないんですよ」
(話し合う三宅ヘッドコーチと宮本選手)
三宅ヘッドコーチ「前ぎみで(尻に)乗っけられない」
宮本選手「ここ(前)に力が来ている」
三宅ヘッドコーチ「見ていてもケツに乗っていない」

ヘッドコーチと監督がわずかなフォームの違いをチェックし、究極の形に仕上げていきます。
元日。合宿の合間を縫って、宮本は初詣に出かけました。
宮本選手
「見守ってくださいとしか言っていないです。頑張るのは自分なので」
他の人以上に長く手を合わせる姿に、今年にかける思いを感じました。
おみくじはー
宮本選手
「おおーー、吉大(大吉)ですね。願い事は叶う」
幸先のいいスタートを切った2024年、願いは一つです。
宮本選手
「集大成というか完成形の自分を見せられたらと思っていて」
「オリンピックでメダルを獲って自分を完成させたい、足りないのはそれだけなので」
より輝く色のメダルを目指して、勝負の年が始まります。