■“最後まで頑張るならいいよ”母との約束で星槎道都大学に進学、そして突然の死別…

 「監督は、大学がある北広島市から寿都町まで片道3時間ぐらいかけて3、4回来てくれました。それで母が『途中で辞めないで最後まで頑張るならいいよ』と」

 ”最後まで頑張るならいいよ”その言葉を胸に刻んだ滝田投手は、星槎道都大学に進学。入学後、滝田投手の素質は一気に開花します。体作りに励み体重は15キロ増え、球速も15キロアップ。3年春のリーグ戦では、開幕投手を任されるまでに成長しました。

3年春のリーグ戦で開幕投手を任される

 ところが…。滝田投手に突然、悲劇が訪れます。2022年5月6日、母親の美智子さんが、心筋梗塞のため53歳の若さで亡くなったのです。

 「あの時は、何もかも中途半端で、どうしたらいいかわからず、野球も適当になってしまっていた」

 母親の死を受け、目標を見失った滝田投手。その様子を見かねた二宮監督は、滝田投手を呼び出しました。

 「15分ぐらい話しました。これからどうする?みたいな話を。そこで言われたのが『野球でお母さんのでっかい墓を建てろ』という言葉でした」

 その日、滝田投手は練習を休み、自室にこもり、自問自答したといいます。

 「どうしたら母に喜んでもらえるか、ここで辞めたら、また母親に絶対怒られると考えました」

2022年5月6日、母親の美智子さん(53)が死去

 ”最後まで頑張るならいいよ”大学進学する際、胸に刻んだ母親の言葉を思い出した滝田投手。
 「プロに届かなくても、社会人などに行けば、なんとか生きていけるだろう」そんな思いもあり、再び野球と真剣に向き合いました。