SDGs達成期限の2030年に向けた新たな価値観、生き方を語る今回の賢者は車いすインフルエンサーの中嶋涼子氏。9歳の頃、突然歩けなくなり、原因不明のまま車いす生活に。将来への希望を見出せず絶望の日々を送る中、転機となったのはアメリカへの留学だった。中嶋氏はアメリカで感じたハートのバリアフリーを日本でも広めたいと、5年前から車いすインフルエンサーとして活動を始めた。現在はSNSでの発信をはじめ、学校での講演やバリアフリーを広める活動など、幅広く活躍している。パラリンピックの閉会式では、パフォーマーとして出演。車いすでドラムの演奏を披露した。

「できないことよりできることを」。車いす生活のリアルを伝えて身近なものに

「わたしのStyle2030」と題して、テーマをSDGs17の項目の中から選んでもらう。

――中嶋さんは何番でしょうか。

車いすインフルエンサー 中嶋涼子氏:
8番の「働きがいも経済成長も」です。

――この実現に向けた中島さんの提言をお願いします。

中嶋涼子氏:
「できないことよりできることを探す」です。

――車いすインフルエンサーとは?

中嶋涼子氏:
5年前に車いすインフルエンサーになると勝手に言って、自分で作った言葉です。インフルエンサーってちょうど流行り出した言葉で、調べたらインフルエンザのようにいろんな人にいい影響を伝染させてしまう人って書いてあったので。障がい者や車いすのイメージが元々自分の中ではすごくネガティブで、自分が突然歩けなくなったときに、かわいそうな人になっちゃうんだなと思ってすごく嫌だったんです。それまで結構障がい者に対して偏見を持っていて、大変そうとか可哀想とか、つらそうってイメージがあったので、自分がそうなったときにすごく嫌だったんです。

27年、車いすで過ごしてきて、意外と何でもできるなって思っているし、楽しいことがいっぱいあるとわかってきたので、世間の人に車いすのイメージとか障がい者のイメージをもっと身近なもので、もっとポジティブで楽しいとかかっこいいとか、そういうイメージを浸透させたい、伝染させたいと思って。車いすインフルエンサーとして全国で講演会をしたり、YouTubeを立ち上げたり、イベントを主催して車いすを身近に感じてもらいたいなと思っていろいろチャレンジしています。

――「できないことよりできることを探す」という言葉がありました。インフルエンサーもそこにつながるのですか。

中嶋涼子氏:
9歳で突然歩けなくなって、何で自分だけ歩けないのってすごく悲しかったんです。私は車いすになってから普通の小学校にまた戻ることができて、私以外はみんな歩いていたから、自分だけ違うのがすごく嫌だったんですけど、いろんな人との出会いで今すごく前向きに生きられるようになって、車いすで生きてきた自分にしかできないことを発信したいなと思って。障がい者の人と関わったことがないと、漠然としていてわからないじゃないですか。車いすで何が大変かとか、どうしてほしいかとか、どうやって生活しているかのリアルみたいなものをいろんな人に知ってもらうことで、街で出会ったときにもどうやって手伝えばいいかとか、みんなが助け合えるような社会になったら生きやすくなるんじゃないかなと思って。

――講演やYouTubeとありましたが、他にどんなことをしているのですか。

中嶋涼子氏:
何か前例を作りたいっていう気持ちがすごくあって、いろいろやっています。去年、映画に出させてもらって。映画とかの車いすの人って大体主人公で死にそうだったりするじゃないですか。最後はお涙頂戴的な。私はアクション映画のマフィアのボス役で。ボスがたまたま車椅子で。そうやってどこにでも車いすの人が当たり前にいて、しかもそれが当事者だったら、当事者の人もエンターテインメントの世界で活躍できるんじゃないかなと思って。