「自分には価値がない」と思う人の受け皿に?
ホラン千秋キャスター:
ツケをして、ある程度まとまったお金が入ったら返すという独特の文化があるからこそ、お金がないのに使ってしまう。そこから負のスパイラルに、ということが起きているわけですよね。

若新雄純 慶応大学特任准教授:
いま、歌舞伎町では、ツケができることが、客にとって、一種の“ステータス”になっているという指摘がある。
近い話で言えば、マンションのローンをいくらまで組めるかみたいな話。「俺って大企業に勤めているから、これだけローン組めるんだぜ」って自慢するみたいな質のものとして、ツケが扱われているそうです。「私ってこれぐらいツケができるのよ」って。
でも、マンションだったら、マンションを担保にできるが、ツケの場合、「自分の体で返すわ」「私は、それぐらいの価値がある女なのよ」みたいなことになる。
「ツケをしないでおこう」ではなくて、「ツケができるうちに、ツケをしてしまおう」っていう気持ちにさせる。一種の承認欲求というか、「私には、ここでは存在価値がある」っていう意識にもっていかせていることが問題として指摘されている。そういう根本の感覚から見ていかないと、この問題は語れない。
ホランキャスター:
その根底には何があると思います?
若新雄純 慶応大学特任准教授:
学校や会社で、大事な役割を与えられていたり、家族から大切にされていたり、自分には生きている価値があるんだって思えたりしている人だったら踏みとどまれるが、どこでも大切にされない、自分には生きている価値はない、若さしかないってなったら、「もう失うものはないから、ここぐらいでは楽しもう」ってなる。
競争社会では、誰もが、自分には役割があるぞと思って生きられるとは限らない。競争から落ちてしまう人もいます。そういう人たちの受け皿になりつつある。決して肯定したいわけじゃないが、そういう現状があると思います。