新潟県内初の地下商店街として1976年に開業して以来、長く親しまれてきた新潟市の地下街『西堀ローサ』のこれまでを振り返ります。
かつての西堀ローサにはアパレルショップなどが立ち並び、流行の最先端として若者らの人気を集めました。
ところが、郊外型の大型店の台頭や万代地区の開発に押されてテナントの撤退が続き、徐々にその賑わいは失われていきます。
さらに、2010年・新潟大和閉店、2016年・ラフォーレ原宿新潟閉店、2020年・新潟三越閉店…と、古町の賑わいづくりを担った店が相次いで閉店。

西堀ローサも大きな打撃を受け、ピーク時の1990年代初頭には50億円に上ったテナント売り上げ高は、近年は1億2000万円ほどにまで落ち込んでいます。
運営会社の筆頭株主である新潟市は、何度も“てこ入れ”を図ってきました。
【新潟市 篠田昭市長(当時)】
「新潟の総力を上げて、もう一度元気が出るように。その機運を盛り上げる」
2009年に、新潟市は1億7000万円かけて観光案内所や健康相談所をオープン。2010年には5億4000万円の予算を計上して、エレベーターやエスカレーターを設置する“バリアフリー化”にも取り組みました。
さらに2011年には、イベントスペースや新たなテナントの整備のために1億2000万円の維持費を投入するなど、これまでに何度も新潟市は再生に向けた支援を講じ、そのたびに希望の光が差し込みますが、かつての賑わいを取り戻すには至りませんでした。

そして2023年6月、現在の中原八一市長は「西堀ローサの商業施設としての再生は厳しい」との市議会で答弁。
14日朝のBSNの取材に対しても「その認識には代わりはないです」と答えました。
「商業施設としての再生は難しい?」
「そういうふうに思います、皆無ではないと思いますけど…」

新潟市は今後について「臨時株主総会の意見を踏まえて対応を検討していきたい」としています。