これまでに看護師や外科医と「医療の道」を歩んできたものの、2022年5月にウクライナから新潟県小千谷市に避難してきたムタル・サリフさん(37歳)が6日、長岡市で看護を学ぶ大学生に向けて、海外の厳しい医療の現場を語りました。

長岡崇徳大学で開かれた特別授業の講師として招かれたムタル・サリフさん。
ガーナ国籍のムタルさんは、ウクライナ国籍の妻イリナ・シェフチェンコさんとともに戦禍のウクライナから日本へと避難してきました。
ガーナで6年間看護師として働いた後、外科医になるためウクライナに渡り研修医として働き始めましたが、ロシアによる侵攻のためにその夢は志半ばで諦めざるを得ませんでした。
看護職を目指す2年生に向けて6日に行われた特別授業は、国外での医療や看護現場の現状を学んでもらおうと企画されたもので、ムタルさんは母国の医療体制の課題について、自身の経験を交えながら説明しました。

「産科病棟ではベッドが足りないので、床に寝ている患者もいます」
「これ水です。川の水です」
「あれしか飲めるものがない?」
「飲むのは大丈夫です。でも、あとで病院に行って『お腹痛い』と…」

およそ80の言語が使用される多言語国家のガーナでは、患者と意思疎通をするための『言葉』が大きな壁となることなども紹介しました。
【受講した学生】
「日本でも金銭的に治療が受けられない人がいると思うんですけど、ガーナはよりその人口が多いなと分かったので、そういう人がいるということに目を向けて、もっと支援をしていくことが大事なんだなって」
「患者のことをよく知らないといけないので、コミュニケーションをたくさん取るようにしたらもっといい援助ができるかなと思った」

ムタルさんとの対話を通じて学生たちは、海外と日本の医療体制の違いや、看護師としての心構えについて真剣に考えていました。