ロシアによるウクライナ侵攻から4か月余り。現在、沖縄で避難生活を送るウクライナ人は9世帯12人います。そのうちの一人、21歳のヤーナ・シュマクさん。大学卒業を控える中で、戦禍に巻き込まれ避難を余儀なくされました。日常を一瞬にして奪われたヤーナさんが、いま沖縄の地で思うこととは。

日本語学校の授業の様子
「ともだちと行きました」「部屋は綺麗でした」「食事はまぁまぁでした」

ウクライナ西部出身のヤーナ・シュマクさん、21歳。先月末、支援団体を通じて沖縄に避難してきました。今月から那覇市内の日本語学校に通っています。

「昨日大学のオンラインをしました」「昨日大学のオンラインをしました」「どうでした?」「よかったです」

この日本語学校ではヤーナさんをはじめ、現在3人のウクライナ人学生を受け入れています。

ICLC国際言語文化センター 金城寛武事務局長
「彼女たち自身としては複雑な感情があると思うんですけど、こうして同世代の友達や新しく出会った他の国から日本に来ている方と話をすることでちょっと戦禍のことを忘れられるというか、そういったところはあるんじゃないかと思います。非常に楽しそうにやっている」

ウクライナから避難してきた ヤーナ・シュマクさん
「戦争が始まったとき私は何をしていいのかわからなかった。全てのことにおいて生活が一気に変わったから。向こうにいた時はどうやって家族を助けていいのか、国のために何をすればいいのかわからなかった。とても悩んでいました。ただ今は何をすればいいのかわかった。私は勉強をして働かなくてはいけない。それによってここで家族を支えられる。今は少し安心していてとても感謝しています。」

現在、沖縄で避難生活を送るウクライナ人は9世帯12人。このうち沖縄市のホテルが3人の学生に対して無償で部屋と食事を提供していてヤーナさんも今月から滞在しています。

ウクライナ東部出身 カトリーナ・シェフチェンコさん
「沖縄はとても安全な場所です。今のウクライナは安全ではありません。この場所は安全で安心しています」

学生たちは、今後準備が整い次第来月から県営住宅に移る予定です。

ヤーラさん
「私はイバノフランコスク州出身です。ただ学校はリヴィウにあります。ウクライナ東部の方が危険ですが、現在は西部もベラルーシから攻撃を受けている」

ヤーナさんの家族は現在もウクライナ西部に残っています。毎日連絡はとっているものの、刻々と変わる現地の状況に不安は尽きません。

ヤーラさん
「私の母は空に爆弾が飛んでいるのを見ました。西部も爆撃を受けていてとても怖いです。私たちの街が攻撃を受けるのは明日かもしれない、来週かもしれない。全ての人が危険に晒されています。こんなことが起きて欲しくないと願っていたが実際に起こっている」

沖縄の歴史や文化にも興味があると話すヤーナさん。北中城村のデイサービスを訪れ戦争体験者に話を聞き、慰霊の日には平和を願う空手の演武も見学しました。

「沖縄戦の話を聞くのはとても辛かったです。沖縄で起きていたことが今も私の母国で起きているのは辛いこと。沖縄のことをもっと学びたい、もっと知りたいと思っています」

ロシアによるウクライナ侵攻から4か月あまり。戦争によって学ぶ機会を奪われ不安が消えない中、この地から母国の一刻も早い平和を祈ります。