桂浜の坂本龍馬像建立の背景に焦点を当てた特別展が高知市で開かれています。建立に関わった人たちの思いに触れることができます。

太平洋の大海原を見つめる桂浜の坂本龍馬像。高知を代表するこの龍馬像の歴史や背景に迫る特別展が県立坂本龍馬記念館で開かれています。

(県立坂本龍馬記念館 河村章代 学芸課長)
「桂浜が40年ぶりにリニューアルされたということもあります。龍馬像も除幕されて今年で95年という節目の年でもありますので、坂本龍馬像、桂浜に興味を持ってもらいたいなというところです」

県立坂本龍馬記念館 河村章代 学芸課長


大正15年=1926年、早稲田大学に通う入交好保(いりまじり・よしやす)ら県出身の大学生4人が、当時まだあまり注目されていなかった坂本龍馬の業績を世の中に知らせたいと、銅像の建立に向けて立ち上がりました。活動には“土佐の交通王”と言われた野村茂久(のむら・もくま)馬や佐川町出身で宮内大臣を務めた田中光顕(たなか・みつあき)らが協力。

県出身の大学生4人が、当時まだあまり注目されていなかった坂本龍馬の業績を世の中に知らせたいと、銅像の建立に向けて立ち上がりました。“土佐の交通王”野村茂久馬や佐川町出身の田中光顕らが協力。

2年後の昭和3年=1928年5月27日、海軍や陸軍も参加する盛大な除幕式が行われました。



銅像を制作したのは宿毛市出身の肖像彫刻家、本山白雲(もとやま・はくうん)。高村光雲(たかむら・こううん)に弟子入りし、東京・皇居前の楠木正成(くすのき・まさしげ)像や上野公園の西郷隆盛像の制作にも関わった人物です。

こちらは銅像の原型です。60センチほどの小さなものですが、龍馬の凛々しい表情がしっかりと感じられます。


(県立坂本龍馬記念館 河村章代 学芸課長)
「桂浜に建っている銅像のほうは下から見上げるので顔が少し大きめに作られているそうです。原型のほうはそういったことがないので比較的バランスよくシュッとしたかっこいい印象があるんじゃないかなと思います」


特別展では、勝海舟と出会い、海軍の修行に励んでいることをつづった龍馬直筆の手紙も公開されています。

(県立坂本龍馬記念館 河村章代 学芸課長)
「内容としては龍馬が土佐藩の知り合いに会ったときに知らないふりをした、なぜかというと土佐に帰れと言われるのが嫌だと、加えて自分は海軍のことを勉強しているんだということを手紙に書いてるんですけども、龍馬が海軍に興味があってそれのことを勉強しているんだと、自分の筆で書いているというところがみなさんにみてもらいたいところだなと思っています」


ふるさとの偉人を広く知ってほしいと立ち上がった若者の思いに大勢の人が賛同し、建立された坂本龍馬像。太平洋戦争による金属供出を免れ、1世紀にわたって大海原を見つめ続ける姿は、多くの人々に勇気や希望を与えています。



(県立坂本龍馬記念館 河村章代 学芸課長)
「建立するまでに一番最初は高知出身の大学生が始めたことだというところは、いまにしても驚くことだと思いますし、チャレンジする力、実行力はもっと知ってもらいたいと思います。建立するまでにたくさんの方の思いとかいろいろな逸話があったということを知っていただいて坂本龍馬像を見るときにそういったことを思い出しながら眺めていただけたらうれしいなと思います」


特別展は10月1日(日)まで県立坂本龍馬記念館で開かれています。