ブダペスト世界陸上、日本人初のメダルは男子35キロ競歩の川野将虎選手でした。

過去の世界陸上、オリンピックで複数のメダルを獲得するなど、日本の「お家芸」でもある競歩。一方で、「もっとも過酷な陸上競技」と呼ばれる、厳しい競技でもあります。山口県にも、競歩に青春を捧げた高校生がいます。競歩の魅力を聞きました。(2023年7月取材)

ふだん何気なく行う「歩く」という行為。この「歩く」に全力で向き合うアスリートが、山口県萩市の萩高校にいた。陸上部3年の青木海橙さんと、2年の西山こと乃さん。6月16日に行われた陸上の中国大会、5000メートル競歩でアベック優勝を果たした。「最も過酷な陸上競技」とも呼ばれる競歩の世界。何を思い、競技に没頭するのか。

高校入学、母が顧問の陸上部へ、青木さん

青木さんが陸上を始めたのは高校生から。入学と同時に母・祐子さんが顧問を務める陸上部に入部を決めた。

萩高校陸上部顧問・青木祐子さん

「自分の子どもだからといってチャンスを少なくしたり、多くしたりということもないし、あくまで他の生徒と同じように接したいし、そういう風にやっていこうっていうのは話した感じですかね」

競歩と野球の共通点?!

青木さんは中学までは野球部でキャッチャーだった。

青木海橙さん

「競歩は戦術が野球と似てたりして。相手の作戦とかを逆手に取ったりするのがおもしろいなって思いました」

打者の動きを観察し、配球を組み立てるキャッチャーに通じる魅力を感じた。入部後すぐに競歩を専門とすることを決めた。陸上の世界でも珍しいことだという。だが、足を踏み入れた世界は想像以上に過酷だった。