萩弁フラッグはなぜ生まれた?

田町商店街副理事長・柏木一宏さん
「萩弁フラッグの始まりは平成8年です。その当時、新しいフラッグを作ったらどうかという話が出たんですね。その当時、福岡市の川端商店街で幕の形で博多弁が書いてあったっていう話題を聞いていたので、それに合わせて、じゃあ作ってみようかということになって手書きで作ったのが最初です」

そう、もともとは手書きだったんです。

今の形になったのは、2017年。そしてこの度・・・

柏木さん
「今の久保理事長が、フラッグをかけ替えようかなという話が出とったんです」

萩弁フラッグのかけ替え・・・つまり、衣替えをしようとしているということなんです。

今のフラッグの生みの親、理事長の久保さん

実はこのフラッグ、全部で50枚ほどあり、まだ日の目を見ていないものが、あと10数枚あるんだそうです。そして、フラッグを今の形にしたのが、田町商店街理事長の久保吉史さん。10年間、商店街のおさとして尽力してきました。ただ・・・

田町商店街理事長・久保吉史さん
「私は勇退させていただくことになりました。やっぱり新しい方、新しい発想が必要だと思うので、ちょうどいい機会じゃないかなと思います」