広島は、まもなく原爆投下から78年となる原爆の日(8月6日)を迎えます。核兵器を巡る緊張が高まっているなか、わたしたちは、これまでに取材した被爆者の方の声を今一度聞くことが大事だと思っています。今回、お伝えするのは、放射線の被害です。

原爆投下から間もなく、脱毛や下痢などを訴える被爆者が増え始めました。当時、広島市内や、近郊の小学校は、臨時の救護所となっていました。

大芝国民学校(現・大芝小学校 広島・西区)で、力なく横たわるのは、竹内ヨ子コ(よねこ)さん(当時 31歳)です。けがのなかったヨ子コさんですが、被爆から1か月後、体調が急変しました。

竹内ヨ子コさん(1945年10月)

そばには、娘の陽子さん(当時 12歳)の姿もありました。足に大けがをしているだけでなく、髪の毛が抜け、腕は糸のようにやせ細っていました。

2人に付き添っていたのがは、竹内信之さんです。1995年に取材に応じた、信之さんは、「外傷のない母は助かる思っていた、大丈夫だと思っていた」と語っていました。

しかし、母のヨ子コさんは1945年10月、亡くなりました。そしてその翌月、妹の陽子さんも母を追うようにして、息を引き取りました。