78年前、アメリカ軍の空爆により児童、教師など合わせて127人が犠牲になった大分県津久見市保戸島。25日慰霊の行事が行われ、島は平和への祈りに包まれました。
かつて遠洋マグロ漁の島として栄えた津久見市保戸島。この島では1945年の25日小学校、当時の国民学校が爆撃を受けこどもと教員あわせて127人が亡くなりました。保戸島小学校と中学校では毎年この日に平和集会を開き、悲惨な戦争の記憶を語り継いでいます。
集会には全校の児童生徒3人が参加。このうち中学3年生の神崎智成さんは9年間学んできた平和学習の集大成として保戸島空襲のビデオを作り上映しました。
神崎智也さん「戦争体験した人がみんな二度と戦争を繰り返してはならないと言っていたので、そういった思いを次の世代に受け継がないとなと思ってこの動画を作りました」
神崎さんの祖父は空襲の体験者で幼い頃から直接話を聞いていました。ビデオでは島の人の証言や爆弾が落とされた経緯などを7分半の動画にまとめています。
(ビデオの音声)「1発目は現在の体育館の裏の民家に、2発目は学校前の海、3発目が学校に直撃しました」
この後、子どもたちは敷地内にある慰霊碑に自分たちで折った千羽鶴と花を供え平和への思いを誓いました。
小野校長「おじいさんが体験者ですし私たちとは違う思いを持ってますね。智也さんの後は2人しか子どもがいないんですけど子どもたちがいる間は学校が伝えていかないといけない。それは使命だと思っている」
また島にある寺、海徳寺では法要が行われ、今年は島外から津久見市内の小学生と保護者22人も参加。空襲で亡くなった人たちの骨を集めて作った、骨地蔵に手を合わせました。
(小学生)「1回の爆撃でそんな全員が死んで恐ろしいなと思いました」「二度と戦争をせんでほしい」
ビデオを作った神崎さんは現時点で島で生まれ育った最後の子どもです。卒業後は進学のため島を離れます。
(神崎智也さん)「お寺での今年が最後になると思うので、二度と戦争をしてはいけないという思いを胸にこれから生きていこうと思います」
戦後78年、保戸島では空襲の体験を語る人もいなくなっていて、次の世代にどう伝えるかが課題となっています。