引退と現役復帰を経て臨む4年ぶりのMGC

大迫は4年前、19年9月のMGC本大会で3位と敗れた。優勝した中村匠吾(30、富士通)と2位の服部勇馬(29、トヨタ自動車)に、40km以降で競り負けた。中村と服部は東京五輪代表がその場で決まったが、服部から5秒差で3位の大迫は代表入りを逃した。

だが本大会後のMGCファイナルチャレンジ3大会で、設定記録の2時間05分49秒以内で走れば3人目の代表に入ることができた。設定記録は大迫自身が持っていた日本記録(2時間05分50秒=18年シカゴ)である。

設定記録を誰も出せなかった場合は、MGC3位の大迫が代表に選ばれる選考システムだった。大迫には“待つ”選択肢もあったが、ファイナルチャレンジである20年3月の東京マラソンに敢然と出場。2時間05分29秒と自身の日本記録を更新し、設定記録も破って東京五輪代表入りを決めた。

そして21年8月の東京五輪6位入賞と日本勢最高順位を占めたが、9月に現役を引退した。しかし22年2月に現役復帰を表明し、6月の日体大長距離競技会5000mで復帰した。同年11月のニューヨークシティ・マラソン(5位・2時間11分31秒)、今年3月の東京マラソン(9位・2時間06分13秒)とマラソンを走った。東京は日本人3位。大迫が完走したマラソンで日本選手に敗れたレースは、MGCと今年の東京だけである。

現役復帰時にはパリ五輪出場にこだわらないと話し、東京マラソン後もMGC出場を明言しなかった。だが網走大会前日、日本陸連のMGC出場選手発表会見の席上、瀬古利彦マラソン強化リーダーが大迫の出場を公表した。

翌日の網走のレース後に、大迫はMGC出場について次のようにコメントした。

「早い段階で出場は決めていたのですが、明言したらしたで……どうなるかわからない部分もありましたし。ただ、もう1回、自分を勝負の場に置く、一番厳しいところに置くというのが自分なりのモットーでもあるので、そこに向けてまた頑張っていきたいと思います。瀬古さんも喜んでくれたので、よかったかな」

4年前のMGCももちろん、勝つつもりで臨んでいた。だが、その心境は大きく違っている。今年のニューイヤー駅伝を前に高橋尚子さんと対談したときに、次のように話していた。

「もしかしたらもっとストイックにやった方がいいのかもしれませんし、それが自分らしさだったのかもしれませんが、今はそれを求めていません。もっと視野を広く持って、メンタル的に自由に走ることを意識しています。そういう僕がどんな結果を出していくのか、実験として面白い。昔は結果を出せるのか不安の方が強かったですけど、今も生活がかかっているので不安はもちろんありますが、それ以上に楽しみな部分がちょっとだけですけど上回ってきたかな」

MGCを走るからには、大迫は絶対に勝つつもりだろう。しかし勝つことだけを考えていた大迫よりも、今の大迫には自身をより客観的に見て判断できる強さがある。4年前とは違った強さが、10月のMGCで見られるはずだ。

(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)