「魂のピアニスト」として世界的に知られるフジコ・ヘミングさん。フジコさんがかつて住んだことのある岡山で、2023年6月、コンサートが開かれました。心に響くフジコさんの演奏とインタビューです。

(3回シリーズのうち第1回)

波乱に満ちた半生がその音に…フジコ・ヘミングの「ラ・カンパネラ」

フジコ・ヘミングさんは、ピアニストの母・大月投網子とスウェーデン人の画家で建築家の父の間に、ベルリンで生まれました。幼い頃、一家で東京に移り住み、母の手ほどきでピアノを始めました。

岡山に疎開したのは、戦火が激しくなった1945年4月。疎開先の小学校のピアノで毎日練習していたといいます。

フジコさんは、戦後ヨーロッパに渡り、才能を認められながらもコンサートの直前に聴力を失うという悲劇に見舞われ、不遇の時を過ごしました。その後、左耳の聴力が回復し、ピアニストとして再び日本で活動していた1999年、波乱に満ちた半生がテレビドキュメンタリーで描かれ、脚光を浴びました。

戦争の悲しみや、聴力を失ったことによる失意などを乗り越え歩んできたフジコさんの演奏は、聴く人の心を揺さぶります。

♪フジコ・ヘミングさんの演奏「ラ・カンパネラ/リスト」

(フジコ・ヘミングさん)
「怖いですよ。ステージに立って弾かなくてはいけないというのは。危なっかしいと思ったら、神様に『助けて』ってお祈りするの。80%くらい助けてくださるけど全部ではない。時々知らん顔しているときもある」

(RSK 小林章子記者)
「きょうはどんなお気持ちで演奏されましたか」

(フジコ・ヘミングさん)
「間違って演奏が止まったりしないようにと思って。うまくいきました」

ー衣裳も素敵です。(【画像】【動画】をご参照ください)

(フジコさん)
「これは大正時代の生地。柄が大正時代の雰囲気でしょう」

ー鮮やかですね。

(フジコさん)
「こういう赤が好きです。若い時は『日の丸』の赤が好きだったけど、いまは嫌い。こういうくすんだ赤が好き」

ースカーレットというのでしょうか。レースもアンティークですか?

(フジコさん)
「これは20年以上も前から着ていて、古いですよ。何度洗っても、自分で手洗いするのだけど、洗えば洗うほどピカピカしてくる」

ー真っ白ですね。

(フジコさん)
「母のネックレスもあるんだけどこれは違う。これは私の恋人がくれた」