集団自決から生き延びた男性の証言 史実をどう継承するか

続いて池上さんが訪れたのは『継承』という大きな課題と向き合う、読谷村史編集室です。編集室では、読谷村で戦争を体験したおよそ2500人から聴き取りをしてきました。

池上彰さん
「戦争中の体験を聴き取るというのはどんなところが難しいんでしょうか?」
読谷村史編集室 小橋川清弘元係長
「やはり厳しいんですね、自分の親が死んじゃったとか、自分の兄弟が死んじゃったとか、あるいは死体を横に見ながら戦場を歩いた記憶とか、全てがトラウマになっていくんですよね」

池上彰さん
「集団自決に関わった方々の聴き取りもまた大変でしょうね。」
読谷村史編集室 小橋川清弘元係長
「本当に大変です。残っているテープというのもごくわずかなんですね。まず、遺族の皆さんのところにテープレコーダーを持っていくと何も話してくれません。自分のお母さんが自分の兄弟たちを殺して、僕も傷つけたけど僕は助けられたとか、そういう記憶というものを生き残った人が話すことは本当に苦しいんですね」

遺族との関係性を少しずつ築いて、貴重な声を記録してきた小橋川さんたち。チビチリガマの集団自決を生き延びた、ある男性の証言を聞きます。

【上原進助さんの音源】(戦争当時は12歳)
「4月1日に米軍が上陸したわけですよ。それから4月2日になりました。半ズボンを着た白人がね、ガマの中に入って来たんですよ。武器を持たないで本を持ってね。黄色い表紙の本があったんです、片一方日本語、片一方英語で『日本は戦負けました』とか『殺しませんから、出なさい』とかね。みんなに見せたですよね。『見たらいかんよ』とボスみたいな人が言うわけです。もうこれは終わりだと、自分たちで自分たちの始末せないかんと、そう言って集団自決が始まったわけです。子ども殺したり、注射したりね」

池上彰さん
「今の話ですと白人が来たと。アメリカ軍ですね」
読谷村史編集室 小橋川清弘元係長
「5000人もの住民を保護するための部隊がいた」
池上彰さん
「多くの沖縄の人たちがアメリカ軍が来たらひどい目に遭うんだと、その前に自決しろみたいなことを言い渡されていた、思い込んでいた、ところがアメリカは助けようとしていたって皮肉なことですね」

体験者などの証言を基に、史実を記録してきた村史編集室。その中には、集団自決が起きた要因に迫るものもありました。

読谷村史編集室 小橋川清弘元係長
「今お話されていた上原さんは、彼も死のうと思って実は中に看護婦さんが1人おられて、その看護婦さんが毒の入った瓶や注射器を日本軍から持たされていて、それを注射していく中に、私にも注射してと言ってこの人は並んだんです」

【上原進助さんの音源】(戦争当時は12歳)
「『友達と親戚が先で、そして余ったらあなたにもしてあげるさ』と言って、私はそばにのけられたんです。『はい薬はもう無くなった』って、看護婦は自分にも薬を打って寝たんです」

読谷村史編集室 小橋川清弘元係長
「彼女は本当は満州の日本軍の病院にいて、中国において日本軍が侵略していって地元の人たちをどうしたか。強姦されて殺されていくよという話ですとか、めちゃくちゃやってきたという事を帰還した兵士たちから聞いていて。自分の家族や親せきをそんな風な目には遭わせられない、だからやるんだということなんですよね」

体験者と向き合い続けてきた小橋川さん。歴史を正しく『継承』するためには、あることが重要だと訴えています。