入江直樹 記者
「東本町にやってきました。この場所は碁盤の目のような形になっているのが特徴なんですけども、これは大火がきっかけなんですね?」
小山祥子 史料調査係長
「そうですね。大火をきっかけに区画整理が行われまして、今のような形になりました。(東側の辺りは松江藩お抱えの)水夫さんが住んでた場所なんですけども、その中にやっぱり屈強な方々が沢山おられて、1人には雷電為衛門という有名な相撲取りが生まれたりもしています。」
現在は松江を代表する飲食店街ですが、かつては職人らが住む地域で小さな家が建ち並んでいたようです。
復興に合わせ、町の名前も変わりました。
小山祥子 史料調査係長
「こちら側にある京店の辺りが末次本町という場所ですけれども、こちらを本町と呼んで、その東側という意味で東本町と。」
松江大橋の上に移動してみます。
小山祥子 史料調査係長
「この大橋からこっち側が焼けた箇所で、こちら側は昔のままということになりますけども、何か気が付かれる所はないですか?」

答えは…川沿いに道があるかないか。
昔は船が重要な交通手段だったため、火災を免れた側では、建物から直接、川に降りる階段も残っています。
小山祥子 史料調査係長
「川ぎりぎりまで蔵であったりとか、家があったりとかっていうのが昔の町の造りだっんですけども、そういった造りだと、やっぱり消火にかかる時間とかもかかってしまって」
建物があって目の前の川から消火用水を取れなかった苦い経験を生かしての整備です。














