沖縄県が本土に復帰して5月15日で50年となりました。

国内最大の地上戦が行われた沖縄ついて考えます。甲府市の男性が、沖縄戦を経験した女性の体験談を本にしました。山梨と沖縄に住む2人が戦争を語り継ごうとしています。

「生き残った自分は、死んでしまった友のために何かをしなければいけないという強い思いが、これまで自分を突き動かしてきたんだと思う」

これは、2021年に出版された 『はっちゃんの沖縄戦ー「忘(わし)らんで!」いのちの叫びに衝き動かされてー』の一文です。

本の主人公は、沖縄昭和高等女学校の生徒だった16歳のときに沖縄戦を経験した上原はつ子さん 94歳。

沖縄県は太平洋戦争末期に国内最大の地上戦が行われました。

死者は20数万人。この内、およそ10万人が一般の人でした。

本では戦地へ行くために受けた看護教育や那覇市を襲った「十十空襲」などが上原さんの目線で描かれています。

高野裕さん:
戦争を体験した人の思いを戦争を知らない人間が書くのは難しいことだなと。

執筆した甲府市の高野裕さん(68)です。上原さんは女学校時代の恩師が以前、甲府市の池田小学校に務めていたことが縁で2011年、池田小の校長だった高野さんと知り合いました。

高野さん:
上原さんから送られてきた資料。学徒隊の沖縄の新聞。これは宝物ですね。上原さんに、ひめゆりだけじゃないのよと言われた。え!「実は私が行っていた昭和高女からも看護学徒隊がでている。そして犠牲者がでている」

沖縄では21の学校から学徒が動員。高野さんはこの学徒隊を含め2000人もの生徒が犠牲になったことを知りました。

上原さんの学校の生徒も「梯梧隊」と呼ばれた看護学徒隊として最前線へ。

多くの生徒が戦禍に散りました。また上原さんから当時空襲で避難した際に、アメリカ軍に捕まり民間人収容所で生活を送っていたため従軍できなかったことを聞きました。

高野さん:
家族にも話してこなかったと言う。それを話してくれたのはものすごく重いこと。残さなければいけない。

高野さんは使命感を感じ、本を書くことを決意します。

長い間、沖縄戦について話さなかった上原さんですが…。

上原さん:
右ならえじゃだめだよ。

およそ15年前、女学校時代の先輩からのこの言葉に動かされます。

16歳の時に沖縄戦を経験した上原はつ子さん。

「はっちゃん、おかしいことはおかしいとちゃんと言わんとだめよ」

およそ15年前上原さんは女学校時代の先輩の言葉をきっかけに沖縄戦を後世に伝える活動を始めました。

上原さんは語り部として子どもたちに沖縄戦を伝える活動を行っているほか、平和記念公園にある「全学徒隊の碑」の建立に奔走し2017年、実現させました。

高野さん:
今の中学生・高校生位の人たちが戦争に駆り出されていった。(はつ子さんが)同じ年代の人に知ってほしいという強い思いがあった。

教育者として子どもたちと接してきた甲府市の高野さん。

上原さんの思いを沖縄から離れた山梨の次世代に伝えようと本にまとめました。

上原さん:
よく書いてくださったなと。本に書かれているのを見て、やっぱり私も気持ちの中で思っていたけど、(当時)口に出しては言えなかった。

高野さん:
はっちゃんの思いは忘れないでほしい、みんな覚えててよと。平和ってどういうものかと。(読者と)一緒に考えたい。


『はっちゃんの沖縄戦ー「忘(わし)らんで!」いのちの叫びに衝き動かされてー』は、山梨県内9つの書店で販売しています。