
原爆投下後、被害の実態把握の拠点となった長崎市の「長崎県防空本部跡」、
通称”立山防空壕”の整備が完了し、公開範囲が拡大されました。

戦時中、防空の指揮がとられた立山防空壕は4本の横穴式で、奥に知事室や警察部長室などを備えていました。
このうち新たに公開されたのは知事室から外に通じるエリアです。

長崎に原爆が投下された時、知事室では広島原爆のことを知った当時の知事らが対策会議を開いていて、このエリアを通って外の様子を確認したとみられます。

説明板も4か国語表記に変更。

当初「被害は軽微」とした防空本部からの報告は、その日のうちに「死傷者5万人ほど」に変わったと伝えています。

長崎市被爆継承課 奥野 正太郎学芸員:
「ここにいた方々のお陰で、被害がどのぐらいあったのか、被爆者の方がどこで収容されていったのか、どのあたりが火事で燃えてなくなっているのか、(実態把握が)ここで行われたことを考えると、ここが果たした役割っていうのはすごく大きいんじゃないかなと思っています。」

立山防空壕は、午前9時半から午後5時まで無料で公開されています。