53年の歴史に幕です。盛岡市の岩手県営野球場で31日閉場式が行われ、岩手の野球の聖地として数々の名勝負とドラマが生まれた場所が最後の日を迎えました。
県営野球場は去年10月を最後に公式大会などのグラウンドの利用を終了していました。31日は閉場式が行われ、球場を管理してきた県スポーツ振興事業団の菊池修一野球場長から県の担当者に球場の鍵が返還されました。
(菊池修一球場長)
「県民からも大変愛された球場ではないかと。多くの方にこの球場に足を運んでいただいたことで県民の皆さんもここがなくなるのは非常に残念ではないかと感じております」
県営野球場は岩手国体の開幕を秋に控えた1970年の5月にオープン。高校野球の大会を中心に県内唯一のプロ野球公式戦が行われるなど、岩手の野球の聖地として数々の名勝負を生み出し、多くのプロ野球選手を送り出してきました。
中でもWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で世界一に輝き、2年連続でメジャーリーグの開幕投手も務めたエンゼルスの大谷翔平(おおたにしょうへい)選手は花巻東高校3年生の時、この球場で当時の高校最速となる160キロをマークし、衝撃を与えました。
県は県営野球場の解体も含めた跡地の活用について検討する方針です。新たな野球の歴史を刻む野球場、「きたぎんボールパーク」は盛岡市永井に4月1日オープンし、記念試合として1日に大谷選手の母校・花巻東と東京の早稲田実業、2日に盛岡大附属と八戸学院光星の対戦が行われます。