■罠にはまった内閣情報調査室員


内閣情報調査室に勤務していた水谷俊夫(仮名)は川崎駅前の商業ビルに入っている焼肉店に入ろうとしたとき、十数人の男に取り囲まれた。
元内閣情報調査室 水谷俊夫氏(仮名)
先頭に立つ男に、かつての同僚がいた。「ああ、Sさん…」水谷がつぶやいたとき、目の前に警察手帳が飛び込んできた。

「警視庁公安部です。君が待ち合わせた男は来ないよ。話を聞きたいから一緒に来なさい」

先頭の3人が警察手帳を掲げていた。顔見知りのSは、以前、内閣情報調査室に出向してきていた警察官だった。

このときの心境を水谷はこう語る。

「頭が真っ白になって、どういうことになっちゃったんだろうな、信じられないな、そういう感じで、しばらくそれからの記憶がないんです」

気づいたら、水谷は公安部の捜査車両に乗せられていた。年配の捜査員がこういった。

「公安部外事一課を舐めるんじゃない。我々は君を一年間ずっと見ていたんだ。君のことはすべて知っている。全部喋ってもらうからな」

水谷は自分が8年間にわたって付き合ってきた4人のロシア大使館員が、GRUロシア軍参謀本部情報総局のスパイであることを知らされた。
ロシア・モスクワ クレムリンと赤の広場


■「外交官」を名乗るロシア人との出会い

出会いは虎ノ門で開かれたある中国関連のセミナーだった。当時の水谷の所属は内閣情報調査室国際部中国班で、中国に関する情報収集が任務だった。「内閣情報調査室」とは、首相官邸直属の情報機関で、内閣の政策立案のための国内外の情報収集を行うのが任務である。水谷が所属する国際部は、中国、朝鮮、ロシアなどと地域別に担当が分かれ、内閣総理大臣に報告するための情報を集めている。「日本版CIA」などとも呼ばれる組織だ。

そのセミナーが終わったとき、顔見知りの通信社の記者が水谷に声をかけてきた。中国やロシアに精通するベテラン記者だった。

「コーヒーでも飲みに行きましょう。こちら、ロシア大使館のリモノフさんです」

紹介されたのは、栗色の髪を七三分けにしたロシア人の男。エメラルドグリーンの瞳が印象的だった。
顔見知りの通信社の記者に紹介された“一等書記官のリモノフ氏”
3人で近くのコーヒーショップに行った。

「水谷さんも情報収集しているのであれば、リモノフさんと知り合いになっておくのがいいですよ」

記者が言った。

水谷は上司から「外部の人間と飯を食え。人脈を開拓しろ」と指示されていた。ロシアと中国の関係は深い。情報源になれば助かる、と思った。

リモノフの名刺には「在日ロシア大使館一等書記官」と書いてあった。日本語もうまく、立ち振る舞いも洗練されている。「さすがに外交官だな」水谷はこう思った。これが8年間続く、壮大な罠の入り口だった。