東日本大震災の発生からまもなく12年。からふるでは、防災をテーマに特集でお伝えしています。今回は、最後の砦、空からいのちを救う消防防災ヘリです。

高知県の消防防災ヘリ、りょうま。青と赤の2本のラインが入った白い機体は、わたしたちのいのちをつないできました。現在のりょうまは2代目。去年10月に運航を開始しました。ヘリに乗り込む消防防災航空隊は、県内15の消防本部から派遣されるメンバーで構成されています。

(県消防防災航空隊 岡部文一 隊長)
「隊員は輪番制で大体3年4年で入れ替わるんです。これをやることによって、県内の各消防本部に航空隊経験者が増えることでヘリコプターの使い方が上手になります。これが県民の皆様の生命を守る、県民サービスに繋がるんじゃないか」

ヘリの利点は、なんといってもその速さです。最大速度はおよそ300キロ。消防防災航空センターがある高知龍馬空港から室戸岬まではおよそ15分、足摺岬までは30分ほどで到着することができます。東西に長い高知県で、一刻を争う患者の救急搬送をドクターヘリとともに行うほか、山間部での救助や消火活動など、地上から消防隊がなかなか近づけない場所に駆け付け、救助活動を行います。

消防防災航空隊が実際に救助活動や救急搬送などで出動するのは平均で週に2回ほど。それ以外は、訓練の毎日です。この日行ったのは、上空からの救助訓練です。消防防災航空センターのすぐ横で、旅客機の発着の合間をぬって行います。

飛び立ったヘリは上空およそ30メートル地点でのホバリング。そこから1本のワイヤーを使って隊員が地上へ降り立ち、けが人に見立てた隊員を、ヘリまで引き上げます。

(県消防防災航空隊 岡部文一 隊長)
「ヘリの活動ではやっぱり厳しい現場に行きます。現場っていうのは1回、本番1回なんで、そこで失敗しないように数多く訓練をしてその成功率を上げる。現場で失敗しないために訓練はたくさんやってます。とにかく無難に確実にやる。ヘリの活動というのはファインプレーはいらないんで、とにかく安全確実に無難にやっていくことを心がけています」

発足から今年で28年目を迎える消防防災航空隊。今回が3度目の派遣となった岡部文一隊長は、りょうまとともに、12年前、東日本大震災の発生直後に東北へと向かいました。

(県消防防災航空隊 岡部文一 隊長)
「高知は3月の12日の夕方に岩手県の花巻空港に入りました。そしたらですね、もう何もなくて、もう全部流されていたんで、病院のあったと思われる駐車場へ着陸して、その近くのアパートなんかも3階まで何もなかったような状態で。とにかくね、音もなかったし、シーンとした状態で、一言で言うと、何もない」

日常を一瞬で奪ったあの震災。日本中から次々と応援部隊が入ってくるなか、現場も混乱していたといいます。

(県消防防災航空隊 岡部文一 隊長)
「行っても行っても該当者、要救助者がいないんです。僕たちが行くと他の機関の航空機がもうその方を搬送してて、そのときにすごく思ったのがやはり情報共有が大事だなと思って」

こうした教訓から現在は、日々の訓練と同時に南海トラフ地震を見据えた受け入れ態勢の訓練も行っています。消防防災航空センターには、りょうまのほかにもう一機、ヘリがあります。消防庁の「おとめ」です。

日ごろはりょうまと同じように県内の救急搬送などに出動。消防防災ヘリが2機あることで、必ず1機は出動できる体制となっています。

(県消防防災航空隊 岡部文一 隊長)
「要請というのは、何をしてても緊急電話がなるかもしれないとか、何があっても対応できるように心がけてます。おとめは西日本の大きい災害は、緊急消防隊としてすぐ出るんで、日頃から県内、西日本の災害、地震とか大きい災害はすぐ対応できるように心がけております。リュックに着替えとか全部かまえてます」

要請を受けて隊員がヘリに乗り込み飛び立つまでは、早ければわずか15分ほど。消防防災航空隊は一人でも多くのいのちをつなぐため、きょうも活動しています。